康秀街道~こうしゅうかいどう~  駒井僧侶による執筆です。月々移り行くお寺のお話をお楽しみ下さい。

こんな供養はいらない?

 寒い日が多かった先月に比べ、2月も下旬になると暖かい日が多くなってきました。 昨年も暖かい2月だった記憶がありますが、その暖かさのためかすでに早咲きの安行桜が花芽をつけて、小学校の隣の桜も彼岸前に満開となりそうです。 ただ、雨が降らないために乾燥が進み、アルコール消毒が日常となった昨今の手肌には少々辛い時期が続きそうです。
 今月は、錫杖寺の大きな行事のひとつ「節分会大護摩供修行」がありましたのでお話したいと思います。 昨年は、まだ新型コロナウイルス(COVID-19)の感染の心配もほとんど考えられない状況でしたので、盛大に豆まきをいたしましたが、今年は緊急事態宣言中ということもありますが、感染対策を講じる必要があったため、豆まきは残念ながら中止するしかありませんでした。 また、お正月のお護摩修行と同じようにお堂の中への上堂も大幅に人数を制限してお護摩を行うこととなりました。 錫杖寺では、特別に「福茶」と呼ばれ、日本茶に梅干しと福豆を入れたものを振舞っていましたが、飲食であるが故に今年は振舞うこともできず、静かな節分となってしまいました。
 ただ、節分もとても大切な伝統行事のひとつなので、除夜の鐘と同じようにここで錫杖寺の伝統行事を中止するわけにはいかず、今の状況でできることを考えて実践することといたしました。 そこで、昨年の豆まきで子どもたちがとても楽しそうにしていたことを思い出し、錫杖寺の近隣の保育園にお声かけをさせていただき、ご祈祷したお豆とお菓子をプレゼントすることにいたしました。 大変ありがたいことに、当日は近隣の保育園の園児たちがお参りにきてくれて、多くの子どもたちの喜ぶ顔を見ることができました。
 錫杖寺のご本尊さまはご承知の通り「地蔵菩薩」(=お地蔵さま)ですから、他のどの仏さまよりも子どもたちのことが好きで、子どもたちの笑顔や笑い声が何よりもご供養になるのです。 もちろん仏さまへの供養を考えると、基本は心を込めて手を合わせることと思いますが、それだけが供養の形ではありません。 では、どのような供養の形があるのかを「地蔵菩薩」(=お地蔵さま)を中心に考えてみたいと思います。
 先ほどお話した通り、供養という言葉を考えますと、神社などで神々を礼拝する時は「二礼二拍手一礼」を想像し、寺院で仏さまを礼拝する時は「合掌」を想像すると思います。 たまに錫杖寺の本堂でも手をたたきお参りをしている人がいますが、厳密に言えば誤ったお参りの仕方なのかもしれません。 しかし、神仏という大きなくくりや神仏習合という日本の歴史を通しての信仰と考えれば、信心あっての行為ですので必ずしも誤りとは言えません。
 特に「地蔵菩薩」(=お地蔵さま)に関して言えば、身近な存在であるがゆえに仏教学的なことよりも民俗学的な信仰より派生したと考えられるお参りの方法が、他の仏さまよりも多く見られる傾向があります。特徴的なものですと縄で縛られてしまうお地蔵さまもいれば、全身を塩で覆われたお地蔵さまもいます。 また、お地蔵さまの本体(=身体)を担いで回ることでご利益にあずかる供養の方法や場合によっては放り投げる供養もあるようです。
 ちなみに、とんちで有名な一休禅師とお地蔵さまの有名なお話も存在しますが、これは非常に驚くお話ですが、お地蔵さまの開眼供養(=魂入れの供養)を一休禅師にお願いをしたところ、お経をお唱えするわけではなく、立小便をかけたというお話があります。 言い換えれば、一休禅師は魂入れの供養として立小便をかけたわけです。
 これは、お地蔵さまの仏さまとしての特性を理解したうえでの行動なのですが、そこにいた人々が動揺し困惑したことは想像に難しくありません。
 これらのように疑問を抱くような供養の方法などが現在に伝わっているのは、民俗学的な信仰の強さによるものと思います。 例えば、貴重な塩をお地蔵さまにお供えするよりも自分の身体の悪い部分と同じ部分に塗って手を合わせ、結果として快復したならば、そのお参りの仕方が後世へと語り継がれるわけですから、そのお地蔵さまの基本的なお参りの形として定着することになります。 さらに言えば、お地蔵さまがこれだけ多くの方法で供養されるということは、それだけお地蔵さまが身近な仏さまとして信仰されてきた証として考えることができるでしょう。
 未だ新型コロナウイルスの影響は衰えず、今までのような生活に戻れることは先の話かもしれません。 今の社会情勢に則した新しい供養の方法が提唱されることも十分考えられます。
 仏教は日本の歴史の中で、受難な時代もありましたが、必ずその時代に合わせて様々な形で救いの手を差し伸べてきました。 今も将来の歴史の中で考えればその変革のひとつなのかもしれません。
 お地蔵さまが人々の信仰に応じて供養の方法を変えてきたように、仏教そのものも今の時代やこれからの時代に則し身近な存在であることは変わらずに後世に引き継がれてほしいものです。

合掌

(2021.02)
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牛の心は身体のごとし・・・

 寒かった冬も立春に向けて少しずつ暖かい朝も多くなりました。 この冬は、寒い日も多く、地蔵堂の前の天水桶や蓮鉢の水が氷っていることもしばしばで、その氷も意外と厚く驚いたこともありました。
 昨年もこの「康秀街道」をお読みいただきましてありがとうございました。 毎年思うことですが、難しすぎず分かりやすく錫杖寺のことや仏教のことをお話したいと思っていますが、いつまでたっても文章の能力が上がらず、ご迷惑おかけして申し訳ありません。 今年も大らかなお気持ちで1年お付き合いくださいますようお願い申し上げます。
 ご承知の通り、昨年から新型コロナウイルス(COVID-19)による影響は大きなもので、錫杖寺の大晦日は信じられないほどお参りの方が少なく、私もこれほどまでに参拝者が少ないのは初めての経験でした。
 除夜の鐘に関しても、伝統行事を中止するわけにはいかず、錫杖寺の役員関係者で108回鐘を撞きましたが、役員関係者の中から「いつも手伝いで鐘を撞いたことがないから感動した」という声もあり、いつも以上にご奉仕いただいていることがありがたいと感じました。
 私は残念ながら受付テントを離れることができず無理でしたが、僧侶の中でも鐘を撞けた者もいるようで、今回は非常に貴重な経験をすることができたようです。
 新年のお参りに関して考えれば、分散参拝というお参りの仕方が浸透したようで、お正月三が日だけでなく、現在も平日や休日を問わず日々多くの方がお参りにいらしています。
 お参りにいらした人の中で、やはり気になるのは「おみくじ」のようで、よく子どもたちが「おみくじ」の内容で一喜一憂している姿を見かけることがあります。 運よく私は当たったことはありませんが、残念なことに錫杖寺の「おみくじ」には「凶」や「大凶」も入っていますので、ぜひ新年の運試しとして「おみくじ」を楽しんでいただけたら幸いです。

 さて、今回も恒例となりました干支と仏教に関するお話を紹介したいと思います。 今回は「丑年」ですので「牛」のお話を仏教説話集の『ジャータカ』より紹介したいと思います。
 昔あるところに1匹の水牛がいました。 その水牛は、ある日木の下で休んでいました。 するとその木から猿が降りてきて、水牛の背にのぼり、糞尿を撒き散らし、角や尾を掴み悪戯をしました。 ところがその水牛は猿の悪戯を気にすることなく、仕返しをしようともしませんでした。
 それでも猿はしつこく悪戯を続けました。 それを見て、ある日森の神さまが水牛に仕返しをしない理由を尋ねました。 森の神さまは「どうしてそのような悪戯をされても仕返しをしないのですか?あなたは身体も大きく猿よりも強いはずです」と水牛にきいたところ「私は猿のことを愚かに思います。 その愚かな者の悪戯に耐え忍ぶことができなければ、私は大いなる目的を達成できません。 自分より強い者に悪戯されたら仕返しすることはできませんから、私は真の忍耐を得ることはできません。 もし自分より弱い猿に仕返しをしたら私はこの先忍耐を得ることはできないでしょう」と答えました。
 しばらくすると、その水牛は木の下から離れていきました。 すると、別の水牛がやってきました。 当然のように猿はその水牛にも同じように悪戯をしました。 すると、その水牛は激怒し、猿を振り落として角で殺してしまいました。
 この忍耐を兼ね備えた水牛は、お釈迦さまだったのでした。

 このお話の中には、仏教の教えである「因果応報」(人の行いの善悪によりそれ相応の報いをえること)も説かれ、善行をした水牛は「忍辱」(にんにく)という仏教の六波羅蜜の1つであり大切な教えを悟ることができました。 この「忍辱」は、簡単に説明すれば、困難にも動じず怒りの心を起こさず耐え忍ぶことを表します。 つまり、この水牛は猿の悪戯に耐えるという修行を達成して悟りを得たのです。 逆に、悪行をした猿には、最後は命を落とすという結果がもたらされました。
 不思議なことに、とても時事的なお話となりました。 昨年の「康秀街道」でも何度もお話してきましたが、新型コロナウイルス(COVID-19)により我々は多くの忍耐を経験することとなりました。 しかし、大切なのは、さらに踏み込んだ「忍辱」という仏教の教えまで到達することなのです。
 どちらかと言えば「忍耐」は我慢するという行為に近いかもしれません。 しかし、その心の中は、場合によっては負の心である三毒(貪・瞋・痴)などに支配されることもあるでしょう。 しかし「忍辱」は違います。 耐え忍ぶ心の中に三毒は存在しません。 そのために仏教の修行の中から得られるものとして「忍辱」はとてもありがたいものとして重宝されています。
 今年も昨年のように我慢を強いられる生活が続くかもしれません。 難しいかもしれませんが、この水牛のようにすべての人が「忍辱」を悟ることができれば、私たちは真の意味で安心を得て、今までのような生活に戻れるようになるかもしれません。 忍耐の1年になるかもしれませんが、精進してまいりましょう。
 今年もよろしくお願いします。

合掌

(2021.01)
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新年のごあいさつ

 まず初めに、謹んで新しい年を迎えることができましたことを心よりお慶び申し上げます。
 昨年は新型コロナウイルス(COVID-19)により多くの尊い命がお亡くなりになり、多くの方が苦しみ振り返れば辛い1年でありました。
 今年1年はより良い1年となりますように檀信徒のみなさまの無事を祈り、錫杖寺では僧侶ならびに関係者が一丸となってご本尊延命地蔵菩薩さまにご祈願をしております。 無事に新年を迎えられたことを慶び、今年1年が昨年よりもよい1年となるようにみなさまもお祈りください。
 今年の干支は「丑」になります。 この「丑」とは「紐」という字の旁(つくり)に相当しますが、この「紐」は「大切なものを結ぶときに使うもの」と考えられます。 つまり「丑」は大切なものを結ぶ時に用いられるものですので、今年は大切な人との絆を深めるよい年なのかもしれません。
 未だ新型コロナウイルス(COVID-19)の心配は払拭できませんが、12年に1度くらいは「丑」のようにのんびりとしてもよい1年と考え、自分を大切に・家族や仲間を大切に…無事に過ごしていけたらよいと思います。
 今年もよろしくお願いします。

合掌

(2021.元旦)
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