康秀街道~こうしゅうかいどう~  駒井僧侶による執筆です。月々移り行くお寺のお話をお楽しみ下さい。

思いやりとは・・・?

 2月も終わろうとしています。 今年は閏年のため1日多く29日まであります。 子どものころは1日多く学校に行くことが憂鬱に感じることもありましたが、さすがにこの年になるとそのような感情はなく、どちらかと言えばオリンピックが開催される年くらいの認識しかありません。
 しかし、驚くことにこの暖かさの影響は大きく、例年隣の小学校の早咲きの安行桜も3月の彼岸頃ですが、すでに花が咲いています。 ひょっとしたら、大風でも吹けば散ってしまうのではないかと感じるくらいです。 温暖化の影響は免れず、今まで以上に真剣に考えなければならないのかもしれません。
 さて、今月は錫杖寺の大きな行事のひとつ「節分会大護摩供修行」がありましたのでお話したいと思います。 昨年は節分の日が日曜日ということもあり、錫杖寺では初めての試みとして豆まきを大々的に行いましたが、今年も引き続き「護摩修行」の後に豆まきを開催することになりました。
 今年の節分の日は平日の月曜日と言うことや近隣の寺社でも豆まきが行われていることを考慮して、長い錫杖寺の節分会の歴史の中で初めての時間も変更して、3時半からの「護摩修行」と豆まきといたしました。 平日の豆まきというのも錫杖寺にとってみれば初めてでしたので、多くの参拝者にお参りに来てもらえるか心配でしたが、当日は多くの方にお参りいただき、盛大に行うことができました。
 幸運にも、隣の小学校が振り替え休日であったため、子どもたちも多く豆まきに参加してくれました。 また、目の前の保育所の子どもたちも参加してくれまして、多くのお菓子をもって笑っている姿がとっても印象に残りました。

 近年は「除夜の鐘」などが騒音などとして考えられ、日本古来の伝統行事や神事などまでも中止に追いやられることが多くなってきました。 その反面、イースターやハロウィンなどの海外の伝統行事が日本でも多く開催されるようになり、盛り上がりを見せているようです。
 私も子どものころは、地元のお寺で行われた豆まきは楽しみで、親に連れて行ってもらった記憶や友人と行った記憶が未だに残っています。 もし、節分の豆まきに参加してくれた子どもたちが、日本の伝統行事のひとつとしてこれを継承してくれたらありがたいと思った日でもありました。
 話は変わりますが、先に少しお話した温暖化以上に現時点で真剣に考えなければならない問題があります。 それは新型コロナウイルス(COVID-19)でしょう。 2月の下旬ではすでに日本国内でもお亡くなりになられた方が何人もいて、感染も全世界へと広がりを見せているようです。
 私自身もそうですが、今まではどこかで対岸の火事くらいに感じていたものが身近に感じるようになると、もちろん怖いという感覚は多少なりとも湧いてきます。 それが、予想のできないものや目に見えないものとなるとなおさらです。
 こういう時には、やはりお互い協力しあうことがいつも以上に求められると思います。 以前にもお話したことがありますが、今こそ椎尾弁匡(しいおべんきょう)先生が中心となって提唱された「共生」(きょうせい)というものを考えるだけでなく実践する時なのだと思います。
 しかしながら「共生」と言われてもなかなか難しいのが現状です。 確かに私たちは、家族や友人などと関わり合いながら共に生きていますし、何か特別なことを想像する必要があるのかと考えてしまします。 彼の震災の時は多くの方がボランティアを行い、記憶に新しいところでは、昨年の台風被害で多くの方がボランティアを行いました。困ったときにお互いに助け合うことはもちろん「共生」であると思います。
 ただ、私はこの「共生」に関しては特別な行為だけではないと思っています。 例えるなら、すれ違いに道を譲ることや電車などで席を譲るような簡単な行いも「共生」であり、お互いに笑顔であいさつを交わす行為でも「共生」だと思っています。
 この「共生」という言葉はたった2文字ですが、非常に奥の深い言葉でもあります。 昔に産業をはじめ多くの技術の進歩によって世の中は便利になりました。 しかし、その反面人と人との繋がり、ご縁の大切さが見直されている昨今の時代だからこそ、このような時には一層の「共生」を考え実践する必要があるのかもしれません。
 ひょっとしたら近い将来はAI(=人工知能)との「共生」も考えられる時代がくるかもしれません。 逆にそのような時代が来ることを楽しみに待ちたいと思います。

合掌

(2020.02)
TOPヘ


恐怖と幸せの先にあるものは?

 気が付けば1月も終わりに近づきました。 年末の除夜の鐘は風が大変強く、雪こそ降らなかったものの今までで1番の寒さで凍えるかと思いました。 筆を持つ手だけは何とか守りましましたが、左手の指は寒さのあまり動かなくなり、心配を重ねた新年の幕開けでしたが、ふたを開けてみれば穏やかな日が続き、善し悪しは別として暖冬となっているようです。
 昨年は「康秀街道」をお読みいただきありがとうございました。 何年たってもなかなか思っていることを文章にすることは難しく、自分で読み返しても反省することも多くあります。 しかし、これも経験とご容赦いただきまして、今年も1年お付き合いいただければ幸いです。
 ところで、新年のごあいさつにて干支にちなみ「子(ねずみ)」=「寝ず身」という当て字から一所懸命に働き、僧侶として働くことに喜びが見いだせるように精進したいと申し上げましたが、早速それが現実となりました。 不幸なことに副住職が不慮の事故に見舞われ、私がいつも以上に休みなく働くことになりました。 全快までは時間がかかるようなので、私が何とか精進したいと思います。 ただ、自分で言うのもおこがましいのですが、昨年は過労により3回ほど高熱を出しましてダウンしてしまいましたので、今年は年齢を言い訳にせず、昨年以上に気を付けたいと思います。

  さて、新しい時代「令和」として初めて迎えたお正月となりましたが、先にお話しした通り大変穏やかで暖かい日が多く、夜の参拝者が心なしか少なく感じたため、逆に元日は大変多くの参拝者がいらしていた気がします。
 もちろんお参りの方は「1年間無事に過ごしたい」という気持ちが中心と思いますが、広義では「令和という新時代を無事に過ごしたい」という気持ちも含めてのお参りと思います。
 錫杖寺でも、会計上は消費税増税による影響はもちろん大きくありますが、やはり「お守りは小銭を1枚握りしめて子どもでも買えるようにしたい」という想いから、金額は一切上げることなくお正月を迎えましたが、子どもたちがお気に入りのお守りを喜んで持ち帰る姿を見ていると、新年早々に温かい気持ちになることができました。 お金には代えがたい何かを得られるというのは、新年早々に幸せなことです。
 話は変わりますが、昨年はあまり干支と仏教的なお話がありませんでしたので、省略いたしましたが、今年の干支である「子」は有名なお話がありますのでご紹介したいと思います。
 ある時、ひとりの男が荒野を歩いていると暴れた大きな象に遭遇しました。 この男は恐怖を感じ象から逃げまわりますが、どこにも身を隠す場所がありませんでした。 しかし、よく見渡すと井戸が1つあり、その傍らには藤の蔓が垂れ下がっていたので、男は蔓を頼りに井戸の中へと身を隠すことにしました。
 すると、その木の根元に黒と白の2匹の鼠が現れて、男がつかまっている蔓の根元を交互にかじりだしました。 この井戸の中には、四方にそれぞれ毒蛇がいて男に噛みつこうとしているだけではなく、井戸の底には毒竜がいて、男が落ちてくるのを待っています。
 男は井戸の底の毒竜や四方の毒蛇だけでなく、蔓を噛みちぎられるかもしれない恐怖でいっぱいでした。 あきらめかけたその時、上から甘い蜜が5滴降ってきて口の中に入りました。 よく見ると、藤の蔓の上には蜂の巣があって、ここから蜂蜜が落ちてきたのです。 男は、甘い蜜の味に魅了され、今置かれている状況はすっかり忘れてしまい、さらに蜂蜜を味わいたいという思いから蔓を揺らしました。
 すると蜂たちが飛び立ち男を刺しました。 そして、突然に井戸の周りから炎が上がり藤は燃えてしまいました。

 これは『仏説譬喩経』に納められている有名な話で、別の「甘い蜜」などの名でご存知の方もいるかもしれません。 このお話は『譬喩経』というお経に納められているので、譬喩が用いられていますので、少々考えてみたいと思います。
 ここでの「ひとりの男」は私たち・「荒野」は私たちの迷いの世界・「大きな象」は無常・「井戸」は私たちの此岸(=迷える人生)・「藤の蔓」は寿命・「黒と白の鼠」は昼(=白鼠)と夜(=黒鼠)で「交互にかじる」は時間の流れ・「毒竜」は死ぬこと・「四方の毒蛇」は四大(地・水・火・風=人間の身体=病苦)・「5滴の蜜」は五欲(食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠欲)・「蜂が刺す」は邪な心・「炎」は老いや病をそれぞれ表します。
 整理してみますと、私たちは常に「諸行無常」の世界において、生まれた瞬間から死へと向かわざるを得ないのです。それがこの例えの男と同じなのです。
 蔓にしがみつく私たちは、常に日々細くなっていく蔓が切れたら毒竜が待つ死へと向かいますが、蔓につかまっている瞬間でも、病気などの苦しみは隣り合わせなのです。 しかし、そのような瞬間であれ、一時の快楽を得ることで、そのような不安は忘れてしまうのです。 そして、それを求めようとすることで、結果として揺らせば蔓は摩擦により早く切れることになりますし、蜂を刺激すれば当然と刺されて蔓から落下することになります。
 限られた人生というものをどう生きるかはとても大切なことです。 令和という新しい時代になりましたので、心も新たに今年1年、自分の心と相談しながらしっかりと共に精進していきましょう。
 今年もよろしくお願いします。

合掌

(2020.01)
TOPヘ


新年のごあいさつ

 まず初めに、謹んで新しい年を迎えることができましたことを心よりお慶び申し上げます。
 また、新しい元号である令和最初のお正月ということで、この令和という時代がよりよい時代になること、ならびに1年の無事を祈り、錫杖寺では僧侶ならびに関係者が一丸となってご本尊延命地蔵菩薩さまにご祈願をしております。 無事に新年を迎えられたことを慶び、今年1年が昨年よりもよい1年となるようにみなさまもお祈りください。
 今年の干支は子年となります。 ねずみというと、これは当て字になりますが「寝ず身」となり、一所懸命に働くという意味に通じます。 昨今の社会情勢からは「働き方改革」が提唱され、無理に働きすぎで身を亡ぼすことは当然あってはなりません。 しかし、健康で働くことができるということは幸せなことと私は思います。
 昨年はイノシシのように突き進んで働き、結果として大きく体調を崩してしまったことが何度もありましたので、今年は可能な限り無理はせず、僧侶として働くことに喜びが見いだせるように精進したいと思います。
 今年もよろしくお願いします。

合掌

(2020.元旦)
TOPヘ