康秀街道〜こうしゅうかいどう〜  駒井僧侶による執筆です。月々移り行くお寺のお話をお楽しみ下さい。

情けは人のためならず

 11月も終わり12月になりました。今年の11月は、例年に比べてそれほど寒くなく「小春日和」と呼べる日が続いていたような気がします。そのような11月でも、植物は少しずつ秋の訪れから冬の到来を教えてくれているようです。 遅れていました「黄櫨」(はぜ)の葉も紅く身を染め始めました。お参りにいらした方は、みなさま「きれい」と言ってくれます。

 今月は、本町小学校の4年生の生徒が数名、勉強のためにお寺に足を運んでくれました。国語の授業の一環で、地域の新聞を作るためと聞きました。どのような新聞が出来上がったのか気になります。
 生徒からの質問で、興味深いものがありましたので紹介したいと思います。それは「どうしてお賽銭をあげるの?」という一言でした。
 「お賽銭をあげる」という行為は、別の言い方で考えると「布施をする」ということになります。一般的にこの「布施」というのは「他の人のために善い行いをする」という意味があります。この「布施」という言葉について、今月はもう少し細かく考えてみたいと思います。
 まず、漢字の意味から考えますとこの「布施」とは「布を施す」という意味になります。この「布を施す」ということは、釈尊のころの仏教における「出家」によりできた言葉なのです。
 当時の僧侶の「出家」というのは「全ての財産を捨てて家を出る」ということでした。持つことが許されたのは、托鉢に使う鉢のみで、衣服も持っていなかったことに等しいのです。実際は服を着てはいましたが、それは「糞掃衣」(ふんぞうえ)といいまして、ぼろ雑巾をつなぎ合わせたようなものでした。 そこで、托鉢を行っている僧侶に衣を施すことを始めた方がいました。ちなみに托鉢でいただいたものは全て感謝の意をもっていただき、他の托鉢を行った僧侶と平等に分けます。 例えば、5人の僧侶で托鉢を行い、そのうちの1人が一反の布をいただいたとしたら、均等に5等分します。模様や色は全く関係ありません。そのため「糞掃衣」(ふんぞうえ)もそうですが、僧侶の袈裟は継ぎはぎになっているのです。これは、現在の我々が身につけている袈裟もそうなっています。
 つまり、「布施をする」ということは「他人に自分の財産を分け与える」ということになります。言い換えれば「他の人のために善い行いをする」ということになります。そのため「布施をする」ということは「他の人のために善い行いをする」ということになるのです。

 難しいことを書いてしまいましたが、4年生の子供たちにはこのような難しいことは話していません。実際に話した内容は、「どうしてお賽銭をあげるの?」という問いに、私は「仏さまに限らず、誰かのために善い行いをすること、自分がしてもらって嬉しい行いをすることは、必ず自分にかえってくるんだよ。」ということだけ伝えました。
 すると1人が、「お誕生日プレゼントを友達にあげると自分の誕生日にもかえしてくれる。プレゼントもらえると嬉しいよね。」 と言っていました。伝えたかったことを理解してくれたことはもちろんそうですが、子供の身近で柔軟な発想には驚きました。
 さて、今年もあと1ヶ月を切りました。もし、やり残したことがあるならば、早い方がいいです。 なぜかというと「1日=4分」だからです。

合掌

(2010.11)
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デジタルからアナログへ

 10月も終わりになりました。いつもなら錫杖寺の山門をくぐって右手にあります「黄櫨」(はぜ)の木がそろそろ紅葉を始めるのですが、今年はまだのようです。
 今月は、年に1回の「写仏会」がありましたのでご紹介をしたいと思います。
 この「写仏会」ですが、今回で第10回を迎えることができました。これもいつもご参加くださる方々のおかげです。この第10回目という記念すべき回に、当山のご本尊さまである「地蔵菩薩」を写仏することができました。また今回は10回目ということもあり、手馴れた様子で写仏をされている方も多くいらっしゃったようです。
 同じ「地蔵菩薩」のお手本を用いて写仏をしていても、完成したものは少しずつ違う「地蔵菩薩」になっていました。個性というのは不思議なものです。

 私事になりますが、この10月は中旬まで京都にございます 真言宗智山派の総本山「智積院」 まで行っていました。何をしに行っていたかというと修業のためです。一般的に仏教の修行というと、座禅を組むことや滝に打たれることが頭に浮ぶかもしれません。しかし、今回行った修行に座禅や滝に打たれるものはございません。簡単に説明しますと「口に真言をお唱えし、手に印を結び、心を仏さまの境地にする」という「三密加持」が中心です。特に今回の修行は 「練行」といいまして、漢字のごとく「修行をさらに練る」というものです。実は、僧侶となる前の修行の中で1度経験をしているものなのです。1度行っている修行をさらにもう1度行い研鑽する。そのため「練行」といわれています。
 修行中は基本的に外部と接触をすることができません。当然のことながら新聞やテレビを見ることはできません。もちろん携帯電話やパソコンなどのデジタル機器も使用することができません。現在の生活をデジタルとするならば、約2週間アナログな生活をしてきました。しかし、その分修行のことを考えるだけの生活を送ることができました。そのため、短い期間ですが、修行を終えたときは「浦島太郎」のような気分になりました。

 ちなみに写真は説明するまでもないと思いますが、京都の「清水寺」です。普段から総本山に行くことはあってもあまり他の寺院をお参りすることはないので、他の僧侶とともにお参りに行ってみました。ここは有名なお寺ですので修学旅行などでお参りされた方もいらっしゃると思います。私も今回久しぶりにお参りに行きましたが、中学生や高校生だけでなく、外国の方々も多くお参りにいらしてました。さすがは世界文化遺産に登録されているお寺です。
 舞台から見える木々はまだ青々としていましたが、非常にきれいな景観です。京都のシンボルの1つである「京都タワー」も見ることができました。この高さでは飛び降りることなど想像したくもありません。
 そういえば、久しぶりに行った本山は自分の中の記憶より少し違っていました。山内に多くの木々が植えられていまして、きれいに手入れがされていました。私が初めて総本山をお参りしたのは3歳の時だそうです。今は亡き祖父と共に写っている写真がアルバムにあります。ふとそんなことを思い出したらアルバムをめくってみたくなりました。
 秋の夜長に少し昔のことを思い出してみるのもよいかもしれません。

合掌

(2010.10)
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この秋は何を楽しみましょうか?

 9月も終わりが近づいてきました。この『康秀街道〜こうしゅうかいどう〜』を始めてから1年がたちました。最初は1年どころか半年続けられるか不安もありました。しかし、この1年なんとか成し遂げることができました。これも錫杖寺を支えてくださる方や、この錫杖寺のホームページをご覧になってくださる方のお陰だと思っています。これからも錫杖寺のことを少しでも多く紹介をしていけるように努力していきたいと思っています。応援よろしくお願いいたします。
 今年は異常なほど暑い日が9月になっても続き、お彼岸になっても気温が30℃を超える日もありました。このような気候が続きましたので、残念ながらこのお彼岸中に「彼岸花」が咲くことはありませんでした。お参りにいらっしゃる方の中には、いつもこの「彼岸花」を楽しみにされている方もいるようです。不思議と毎年このお彼岸の時期に花を咲かせる「彼岸花」ですが、今年は咲かないことが不思議になってしまいました。
 そんな「彼岸花」の代わりに咲いていた花がありました。石門入って右側の山桃の木の下の「タマスダレ」です。この時期は、いつも「彼岸花」ばかりを気にしていたので、恥ずかしながら全く気がつきませんでした。白い花びらの中をのぞいてみると、花びらの数と同じだけおしべがありました。小さくてかわいらしい花です。

 さて、今回のお彼岸も、お参りにいらっしゃった方に少しでもくつろいでいただけるよう「錫門茶屋」を開催いたしました。今回もありがたいことに大繁盛でした。ただ、23日の「秋分の日」は残念なことに午後から大雨となりまして、予定より早くお店を閉めることとなってしまいました。お楽しみにされていた方にとって、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 「秋分の日」の前夜は、「中秋の名月」ということで、少しの時間ですがきれいな満月を見ることができました。ウサギが餅をついていると言われれば、信じてしまいそうです。ちなみに、他の国では、ライオン・蟹・おばあさんなどと月の見え方は違うようです。この丸い月を見ていると、なんだか穏やかな気持ちになります。
 そんな見上げた月の下、ふと焦げた匂いがしてきました。籾殻を燃やしている匂いです。よく見ると、稲刈りの終わった田んぼから、山のように積まれた籾殻に筒が刺してあり、煙がでていました。小学校の帰り道、友達と歩いて帰った道も同じ匂いでした。懐かしい香りのする忘れられない秋の思い出です。
 移り変わる季節の中で、秋はきれいに姿を変えます。木々の紅葉のように、目で見て秋を感じることもできますが、匂いでも秋を感じることもできます。
 秋にはいろいろな楽しみ方があるようです。「食欲の秋」「スポーツの秋」「読書の秋」といろいろな秋がありますが、みなさまはどのような秋にしたいですか?
 「中秋の名月」の話に触れたら、月見うどんが食べたくなりました。私は「食欲の秋」になりそうです。

合掌

(2010.09)
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この木!なんの木?けやきの木!!

 もう9月になりますが、まだまだ暑い日が続きます。今年の夏は異常な暑さが続いていますが、みなさま体調はいかがでしょうか? 川口市の防災無線でも暑さに注意を促す放送が毎日のように聞こえます。
 1年を24等分し、それぞれの日に季節を表す名称を付したものに「二十四節気」というものがあります。8月は「立秋」と「処暑」の2つがあります。「立秋」は秋の気配が現れ始めるころとされています。この暑さですが、暦の上ではもう秋なのです。「処暑」は暑さがおさまり、朝夕は初秋の気配が漂うころとされています。ただ、今年はこの「二十四節気」のように行かないようです。
 今月は特に大きな行事はなかったのですが、大切な行事がありました。それは15日の「平和の鐘」です。15日に鐘を鳴らす理由は当然お分かりになるでしょう。この日は忘れてはいけない大切な日なのです。

 今年はこの平和の鐘を副住職が鳴らしました。錫杖寺の鐘は普段は鳴ることがありません。この鐘が鳴るのは、「平和の鐘」と「除夜の鐘」の年2回です。その貴重な音色はなかなか聴くことが出できない分、とても遠くまで響くようなきれいな音がします。この鐘の音が、川口市内だけでなく、広島や長崎へ、そしてすべての平和を願う人へ届いてくれればいいと思いました。
 私たちが平和を祈ることは難しいことではないと思います。心から手を合わせることだけでも、平和が実現できると思います。もちろん平和の実現が容易でないことは分かります。しかし、小さな一歩でも前に踏み出さなければ何も進むことはできません。
 この鐘の音とともに、平和を祈る気持ちも届いてくれればうれしいです。

 話は変わりまして先日、錫杖寺の境内の樹木の管理などをお願いしています 『東洋ランテック株式会社』 さんより「協会だより」をいただきました。これは『(社)埼玉県造園業協会』の広報誌で、ありがたいことに表紙だけでなく貴重なページをいただき、錫杖寺のことを紹介していただきました。寺院関係以外の広報誌などで錫杖寺を見てみると、普段は気がつかない発見もあります。
 そんな錫杖寺の新しい発見をするべく山内を一周してみましたらありました。山門を入りまして左手にある大きな木です。この木は「けやき」です。ご存じの方もいらっしゃると思いますが「けやき」は埼玉県の県木でもあります。そんな「けやき」の足元を見てみるとビックリします。まるで石の隙間から生えているようです。この暑さにも耐えて、石の隙間から生えている様子を見ているとまさに「努力」と「根性」という言葉が浮かんできました。人間も見習わなければいけません。新しい発見です。

 見方を変えるというのは非常に大切なことです。例えば、数字の「6」も反対から見ると「9」になり、意味も全く違うものになります。
 錫杖寺の山内は、意外に緑も多く四季を感じることができます。これから秋に向けて山内の様子も少しずつ変わっていきます。お参りにいらしたときには山内をよく観察してみてください。違う見方をしたら何か新しい発見があるかもしれません。そして、新しい発見があったときは私たちにも教えて下さい。

合掌

(2010.08)
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夕べ涼しき迎え火の・・・

 7月も終わろうとしています。今年はなかなか梅雨も明けず雨の多い天気でしたが、梅雨明けとともに猛烈な暑さとなり体調を崩してしまいそうです。
 お盆を迎える前に、白蓮がきれいな花を咲かせました。
 蓮は濁った泥の中からでも小さなつぼみを出して綺麗な花を咲かせます。白くてきれいな花を見ていると、心の中も白くてきれいな気持ちになれる気がします。蓮・・・近年では「レン」という読み方で男の子の人名としても非常に人気のようです。
 今月は24日に「お施餓鬼法要」が行われましたのでそのご紹介をしたいと思います。
 この「お施餓鬼法要」は3時間にわたる大法要で、毎年多くの方々が出席してくださいます。
 まず、13時のご詠歌のお唱えより始まります。毎回思うことですが、日々精進を重ねた講員の方々のご詠歌は、大変素晴らしいものです。ご詠歌のお唱えは難しいと思う方もいらっしゃると思いますが、決してそんなことはないと思います。中にはお唱えしやすい曲もあります。また、難しい分だけうまくお唱えができた時の気持ちは何とも言えないものになると思います。私はまだ精進が足りませんので、もっときれいにお唱えができるように努力したいものです。もしご詠歌にご興味がございましたらいつでもお問い合わせください。

 

 次に14時からのご法話です。今年も先生が楽しくて分かりやすいご法話をしてくださいました。以前も「康秀街道」にて書きましたが、人前で話すということは難しいことです。今回も先生のお話から学ぶべきことがたくさんありました。人に自分の話を聞いてもらうことは改めて難しいことだと思いました。今年ご法話に参加できなかった方はぜひ来年のご法話を聞きにいらしてください。
 最後に15時からの「お施餓鬼法要」です。ご先祖さまや英霊を始めとして、全ての仏さまのご供養を住職を中心に20名の僧侶がいたしました。ご参加いただきました方々に、途中でご焼香をしていただきますが、その香りが本堂内に漂って僧侶の読経と合わさると、何とも不思議な気持ちになります。
 当日は大変暑い1日でしたが、雨も降ることがなく、無事に法要を修めることができました。これも住職を中心に総代・世話人各位だけでなく他寺院の諸大徳各位のお力あってのことと思います。当日ご参加をいただき共に読経くださいました方々ありがとうございました。

 

 さて、今回の題名である「夕べ涼しき迎え火の・・・」は、
 錫杖寺第35世の江連政雄大僧正が作詞をいたしました曲に由来します。
 我々が普段お唱えをしています密厳流遍照講の 「万霊供養盂蘭盆和讃」 という曲です。

  夕べ涼しき迎え火の  火影(ほかげ)に法(のり)の道慕い
  親族(うから)の御霊(みたま)帰ります  迎えていざや供養せん
  思えば我らは久遠(くおん)より  七世の父母や六親と
  恩愛(おんあい)契り浅からぬ  縁(えにし)をつなぐ身なりけり
  さらに思えば衆生(もろびと)は  互に頼り頼られつ
  一樹の蔭のやどりにも  多生(たしょう)の縁(えにし)のありとこそ
  自他平等のみ教えに  有縁無縁(うえんむえん)の隔てなく
  万(よろず)の霊(みたま)おしなべて  祖先(みおや)と仰ぎまつらなん
  衆生(もろびと)の 深き縁(えにし)ぞ 偲(しの)ばるる 御霊(みたま)祭の 灯火(ともしび)の影

 少し難しい言葉がありますが、この詩を見てどのような情景が浮かぶでしょうか?
 私には、夕暮れ時の暗くなった時間に提灯をもって家族全員で歩いてお寺にお参りに行く様子が最初に浮かびました。もし時間が許すなら、このお盆はお寺まで歩いていってみるのもよいかもしれません。自分のご先祖さまと同じ軌跡をたどることにより、何とも言えない懐かしい気分になれると思います。

合掌

(2010.07)
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チャレンジ〜挑戦〜

 6月になり雨が降ることも多くなりました。この梅雨の季節が過ぎたら、暑い夏がやってきます。季節の変わり目は風邪をひきやすいようですが、みなさまお変わりないでしょうか?
 この季節になりますと、自然と「田植え」が頭に浮かんできます。ふだん何気なく口にしている「お米」ですが、この「お米」は、収穫し口にするまでに大変な手間のかかる作業です。先人は「お米を作るためには八十八の手間がかかる」と言ったようです。この「米」という漢字は「88歳のお祝」である「米寿」として現在も使われていますので、「米」=「八十八」は何となく分かる気がします。最近では、機械の技術の進歩により少ない負担となっているようですが、それでも大変な作業には変わりありません。秋になっておいしいお米が食べられると思うと今から楽しみです。しかし、その陰には農家の方の努力があることも忘れてはいけません。お茶碗についた米粒の最後の1つまでも感謝していただきたいものです。
 そう言えば、境内には約1年半前にご奉納いただき、開眼供養をいたしました「かわぐち地蔵」が参道にございます。最近この「かわぐち地蔵」にも信者さんができたようです。毎日ではないのですが、よく飲物が納められています。言い換えれば、この地蔵菩薩はまだ当山に納められたばかりで、小学校で言えば新入生です。仲の良いお友達ができたようなものです。お参りにいらした際は、ぜひ頭や体をなでて、健康をお祈りするばかりでなく、お友達になってください。

 

 話は変わりますが、今月は隣の本町小学校の3年生が、「チャレンジ」という授業で当山まできてくれました。この「チャレンジ」という授業は「総合的な学習の時間」というもので、子どもたちが自分の興味のある分野について調べる授業のようです。私が小学生の時には、このような授業はなかった気がします。
  内容は、子どもたちからの質問をインタビュー形式で私が答えるようにして進みました。子どもたちは思ったことをそのまま質問にしてきます。お寺に関する質問では、「錫杖寺はいつできたのですか?」「錫杖寺のお坊さんは何人いてどんな仕事をしていますか?」などの普段から疑問に思っているであろうことを質問されました。 また、話を進めていく中で興味を持ったのだと思いますが「どうして怒っている仏さまがいるんですか?」「神さまと仏さまはどう違うのですか?」という少し仏教の内容に踏み込んだ質問もありました。ちなみに私が最も驚いた質問では「呪いや魔法ってあるんですか?」という予想外のものでした。
  今回この授業で、錫杖寺を選んでくれた子どもたちは16名でした。帰り際に「錫杖寺を選んでよかった」と言ってくれた子どもがいました。子供にとっては何気ない一言かもしれませんが、私は嬉しい気持ちになりました。まるで魔法にかかったような気分です。そう考えれば、身近なところに魔法は存在して、誰にでも使えるものかもしれません。
  もう今年も半年が終わりました。しかし、言い換えればまだ半年残っています。子どもたちの授業ではないですが、あと半年のうちに何かに「チャレンジ」してみたいと思いました。何にチャレンジするかは、これから考えたいと思います。(チャレンジで魔法が使えるようになるとか・・・)

合掌

(2010.06)
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「いただきます」ってなんですか?

 5月も終わりを迎えて、6月からは衣替えになります。しかし、この月末は寒い日が続いています。夏に向けて準備を進めなければなりませんが、少し足踏みしそうです。
 5月8日には恒例の「写経会」がありましたので、その模様をご紹介をしたいと思います。
 この「写経会」ですが、今年で14回目を迎えることができました。なんと毎年欠かさずご参加をいただいている方もいらっしゃいます。最近では、この「写経」は大変身近になりまして、文具店などでも「写経セット」として売られています。その為、簡単に手に入れることができます。また、近年の研究では、認知症の予防や改善の方法として高い効果が期待できると発表がされています。
 錫杖寺ではこの「写経会」で『般若心経』を写経します。私たちが普段お唱えしている『般若心経』は、一般的には『摩訶般若波羅蜜多心経』と呼ばれています。ただ、真言宗では経典は仏が説いたものであるという意味を持つ「仏説」という言葉を付けて『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』と呼びお唱えをします。玄奘(げんじょう)が翻訳したものですが、それ以外にも『般若心経』は多くの偉大なる高僧により翻訳されています。有名なのは鳩摩羅什(くまらじゅう)の翻訳で『摩訶般若波羅蜜大明咒経』といいます。随所に違いは見られますが、内容としては大きな差はありません。おもしろいことに同じ原本を翻訳しても『摩訶般若波羅蜜大明咒経』と『摩訶般若波羅蜜多心経』は文字数が違ったりします。
 この「般若心経」は、字数にすると約260文字ですが、1文字1文字と心をこめて書いていると、思ったよりも時間がかかります。もちろん、きれいに書いていただくことは非常に大切なことですが、字の上手さよりもどれだけ心をこめて書くことができたかが大切なのです。

 

 心をこめるということは、何も「写経」や仏事に関することだけではありません。例えば、農業に関しても大いに係わってくることだと思います。
 最近は新聞やテレビのニュースなどで「口蹄疫」という言葉をよく耳にします。私も専門ではないので、詳しいことは分かりませんが、これは家畜における伝染病の一種で牛や豚などの蹄が2つに割れている動物が感染するようです。もし感染が認められた場合は、『家畜伝染病予防法』という法律に基づき対処されます。そして今回の対処としては「殺処分」という方法がとられることになりました。
  農業(今回でいえば酪農)に係わりのない方からすれば、この「殺処分」という言葉を耳にしても対岸の火事のように思うかもしれません。しかし、これを自分と身近なものに置き換えて考えてみたらどうでしょう。これは、大切に育ててきた犬や猫や鳥などの家族同然のペットを法律という名のもとに「殺処分」されることと同じだと思います。
  農家の方は、心をこめて牛や豚を育てています。そのおかげで私たちは、大変おいしく食事をいただくことができます。この「殺処分」という言葉を聞き「我が子を失うに等しい」とコメントをされていた方もいらっしゃいました。
 最近は「いただきます」という言葉がその意味をなしていない気がします。これは、私たちが普段の食事で使う言葉ですが、大変重みのある言葉なのです。なぜ「いただきます」と言い、何を「いただきます」なのかをよく考えて、心をこめて「いただきます」と食事をしたいものです。そして、おいしく食事をいただきたいものです。

合掌

(2010.05)
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五人五色百花繚乱

 今年は4月になっても寒い日が続いています。そんな中、例年より少し遅れましたが、里桜がきれいな花を咲かせ、弘法大師とともに参拝にいらした方をお迎えしています。花のようにきれいなものを見ているとなんだか穏やかな気持ちになれます。4月から新しい生活が始まり、もし悩むことがあったなら、花に語りかけるのもよいかもしれません。

 

 さて、今月は「茶筅供養」と「釈迦誕生花まつり」が行われましたのでご紹介したいと思います。
 「茶筅供養」では、川口茶道会の先生方のご指導の下、大切な茶筅をご供養させていただきました。「茶筅供養」の「茶筅」とは、茶道におきましてお茶を点てるときに用いる竹でできた道具です。私はお茶の心得がありませんので詳しくは分かりませんが、「茶筅」は代替のできないものであり、使っているうちに穂先が折れてしまう消耗品です。そのため、感謝の意を込めましてお焚きあげ供養するのがこの「茶筅供養」です。当日は穂先の痛んだ多くの茶筅が供養のために納められていました。痛んだ茶筅は努力の証なのでしょう。まさに「日々精進」された結果です。

 

 「釈迦誕生花まつり」は別名「潅仏会」や「降誕会」などとも呼ばれ、一般的に釈尊が生まれたとされる4月8日に行われます。錫杖寺での「花まつり」は、法要とご詠歌の奉詠を行い、ご参列いただきました方々に甘茶をかけて供養をしていただいています。甘茶をかける釈尊の像は誕生仏と言いまして、右手は天を指し左手は地を指しています。今回の「花まつり」は、近所の子どもたちも参加してくれまして、不思議そうな面持ちながらも甘茶をかけて供養をしてくれました。

 

 当日参加してくれた子どもたちに、お菓子とともに誕生仏の塗絵を渡しましたところ、5人の子どもたちが色を塗って持ってきてくれました。面白いことにそれぞれの絵に個性があり、色もばらばらです。しかし、子どもたちの一生懸命さが伝わってきます。
 色というのは不思議で、原色を混ぜ合わせることによってさまざまな色を作ります。原色は大きく分けて「光の三原色」と「色材の三原色」があります。「光の三原色」は赤・緑・青から成り、3つの色を加えていくと白になります。また、「色材の三原色」は黄・赤紫・青緑から成り、3つの色を加えていくと黒になります。
 そう考えると色には無限の可能性があります。例えば、青空を見てきれいだと思っても、それを実際に色に表わすとすると、1人1人違ったものになるかもしれません。
 また、子どもたちには色のように無限の可能性があります。この先多くの経験をすることや多くの人と接することにより、自分だけの色を作っていくのだと思います。「花まつり」に参加してくれた子どもたちが、これからどんな色を作っていくのか楽しみです。地蔵菩薩のように温かいまなざしで見守りたいと思います。
 ちなみに私が好きな色は青ですが、友人からは緑のイメージと言われたことがあります。もし、自分を色に表わすとしたら何色になるのか考えてみると面白いかもしれません。たぶん私は、白よりも限りなく黒に近い灰色だと思います。

合掌

(2010.04)
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夢はあきらめるわけにはいかない!

 3月になりましても寒い日が続きました。めずらしく雪も降りまして、桜や木々のつぼみが心配になるだけではなく、農作物にも悪い影響が及びそうです。

 春のお彼岸を迎えて、催しの1つでございます「錫門茶屋」がおかげさまをもちまして大繁盛でした。今回の人気メニューは「ポップコーン」で、なんとコンソメの粉末を容器に入れて振ると味が変わるというもので、子供たちが笑顔で振っている姿をよく見かけました。

 

 錫杖寺では、毎年春分の日に「彼岸会法要」を行っています。当日は、前日の大風の影響で昨年より参拝者の方が少なくなってしまいましたが、住職を中心にご詠歌の講員の方々や関係各位のお力添えをいただきまして無事に終了することができました。ご参列をいただきまして、ともに読経してくださいました方々、ありがとうございました。

 

 そして、この法要のあとに住職からの法話がありました。住職は現在、総本山智積院にて奉職していますので、私も住職の法話を聴く機会はほとんどありません。笑い声のあふれるような楽しい法話でしたが、非常に勉強になりました。塔婆のことや私たち僧侶の法衣の話などを非常に分かりやすく説明しただけではなく、その由来や意味も説明していました。
 日常の会話とは違い、多くの人に対して話をするということは、なかなか難しいことです。自分の頭の中では、話したい内容が整理できているつもりでも、思ったように話せないことはしばしばあります。私にはまだ勉強が足りないようです。
  そう言えば、あまりニュースとして取り上げられることはありませんでしたが、冬季オリンピックの後に冬季パラリンピックが開催されました。すばらしいことに金メダル3個をはじめとして合計で11個のメダルを獲得されたみたいです。パラリンピックの代表選手は、私たちとは違いハンディを抱えている方々ですので、普段の生活はもちろんのこと、その結果を得るために、我々の知らないところで何倍もの努力をされているのだと思います。
  努力をするということは決して容易なことではありません。普段の生活の中でも怠けてしまうことはたくさんあります。そんな時は、釈尊の最後の言葉「もろもろの事象は過ぎ去るものである。おこたることなく修行を完成しなさい」を忘れずにいたいものです。まさに「日々精進」ですね。

 3月は別れの季節です。隣の本町小学校でも先日、卒業式が行われていました。4月から生活が大きく変わる方もいると思います。この時期は、錫杖寺の境内にある川口天満宮に合格祈願をされた受験生や絵馬を掲げた受験生の結果が気になります。
 私が高校を卒業したのは今から10年前です。私の母校にはポプラ並木がありますが、そのポプラ並木に向かって「僧侶」という「夢」をかなえるべく決心したことがつい昨日のことのようです。
 私は多くの人の力を借りて「僧侶」になることはできました。しかし、まだそれは「夢」の始まりにすぎません。もっと勉強をして「僧侶」としてなさなければならないことがたくさんあると思っています。
 また、3月は別れの季節であると同時に、始まりの季節でもあると思います。春風や木々の花やその香りに心を洗い、初心に戻って心機一転「夢」を追いかけてみてはいかがでしょうか?

合掌

(2010.03)
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誰よりも輝いて

 今月は雪も降りまして寒い日が続きました。皆さま風邪などひいていないでしょうか?
 3日に行われた「節分会大護摩供修行」は多くの篤信の方々のご参加のもと、無事に終了することができました。当日は夜には雪がちらつくような寒い1日で、我々も身の引き締まる気持ちで護摩修行に臨むことができました。冬の寒さはあまり得意ではないですが、寒さは緊張を与え初心に帰ることができる気がします。
  初心に帰るといえば、仏教で「初心」を考えるならば、やはり釈尊(お釈迦さま)がこれに当たると思います。釈尊は35歳の時、菩提樹の下で悟りをひらき、沙羅双樹で入滅されるまでの45年の間ご説法をしていました。ちなみに入滅とは、釈尊が涅槃に入られたことを表す言葉で2月15日になります。
 錫杖寺では、毎年この日にご供養のため、ご詠歌の先生・講員の方々が釈尊の涅槃図の掛け軸を掲げ、その御前でご詠歌を奉詠しています。釈尊の最期の言葉としては「もろもろの事象は過ぎ去るものである。おこたることなく修行を完成しなさい」と伝えられています。つまり「日々精進しなさい」ということです。日々精進を積み重ねてきた講員の方々の、釈尊にお唱えするご詠歌は大変すばらしいものでした。

 我々僧侶も仏教の初心である「日々精進」を忘れず、初めて頭を剃った日のことや初めて出家を決めた時の気持ちをいつまでも大切に持ちたいものです。
 話は変わりますが、カナダのバンクーバーにて冬季オリンピックが開催されました。今回のオリンピックでは残念ながら金メダルはなかったものの銀メダルを始めとして入賞された選手がたくさんいらっしゃいました。私もついつい仕事の手を休め、テレビに見入ってしまうことがありました。すばらしい活躍を見せてくれた選手たちに感謝です。
 メダルを取得された選手はもちろん、メディアに注目された選手にとって、そのプレッシャーというのは我々には計り知れないものがあったと思います。ましてオリンピック選手ともなれば、各国の代表として出場されている訳ですから想像を絶するものでしょう。その分、競技を終えた選手は誰よりも輝いて見えました。
 しかし、人が輝く瞬間というのはそれぞれ違うと思います。スポーツ選手に例えると、納得のいく結果が出せた瞬間かもしれませんし、その結果を求め日々精進している瞬間かもしれません。
 私が思う人が輝いている瞬間は、目標に向かって精進しているときだと思います。
 私は現在、檀信徒・篤信徒各位のお力添えをいただきまして、ここ錫杖寺にて僧侶としての生活を送っていますが、まだ勉強不足のため、1年のうち反省することや後悔することもたくさんあります。前回の康秀街道の「1日=4分」に話が戻ってしまいますが、よくよく考えると半日以上反省している気がします。
 日々精進。いつでも輝いている人になりたいです。

合掌

(2010.02)
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1日=4分

平成22年となりまして最初の康秀街道です。大変遅くなりましたが、今年も変わらずよろしくお願いします。

 関係各位のお力添えをいただきまして、無事に今年の「延命地蔵尊万灯会」を終了することができました。現在は、いつも通りの錫杖寺に戻っています。
 今年の初詣も例年通り多くの方がお参りにお越しくださいました。初詣というとやはりイメージがあるのか、おみくじを引いて行く人がたくさんいました。私も今年1年を試すべくおみくじを引きましたが、ありがたいことに今年は「大吉」でした。ただ、それ以上にありがたいことがありました。
  錫杖寺のおみくじの中には、いくつかのお守りも一緒に入っています。その中には「カエル」のお守りも入っています。この「カエル」ですが「無事に帰る」に意味がかかったお守りです。私は2年連続してこの「カエル」でした。ほぼ毎日のように車を運転している私にとっては大変ありがたいお守りです。
 ありがたいといえば、先日ですが今度は隣の本町小学校の4年生の男の子たちが学校の課題で来山してくれました。お寺の中で1番古いものを調べているとのことで、前回に続きまして「銅鐘」(埼玉県指定有形文化財)を紹介しました。お寺というと古いイメージがあるのでしょうか?

このように多くの子どもたちがお寺に集まってくるというのは大変すばらしいことです。これも本尊である地蔵菩薩の功徳に違いありません。
 また、24日は地蔵菩薩のご縁日ということで、護摩修業をしていますが、1月は初地蔵として多くの篤信の方々に参加いただきました。中には、太鼓の音や大きな声に驚いて泣き出してしまった赤ちゃんや子供もいました。この日の護摩終了後の副住職の法話の中に
「護摩は修行です。太鼓の音や大きな声で泣いてしまったことは、修行のうちの苦行です。
この苦行を乗り越えたことは、やがて自信となるでしょう。大きな人間へと成長してください。」

という言葉がありました。来年の初地蔵護摩修業で成長した姿を見せてくれたらうれしいです。

もう新年になりまして1月も終わりです。先日ふと思ったのですが、1年を1日とした場合の時間計算してみました。するとこうなりました。
1日÷1年 = 1440分(24時間×60分)÷365日 = 3.9452・・・分(≒4分)
  つまり1年を1日とすると1日は4分しかないのです。よく考えてみると短い時間です。
そう思うとその時々を精一杯生きていかなければいけない気になります。

合掌

(2010.01)
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