康秀街道〜こうしゅうかいどう〜  駒井僧侶による執筆です。月々移り行くお寺のお話をお楽しみ下さい。

ハルカ〜遠くにいても〜

 先月まで、山内を紅く染めていた木々の葉が落ちて、なんだか寂しい景色へと変わってしまいました。 北風は時に頬をチクチクと刺すように吹いて、すぐにどこかへといってしまいます。 吐く息は白く、一瞬にして冬の訪れを教えてくれます。 先月の予想が当たったようで、急に寒い日が続くようになりましたが、体調お変わりございませんか? 私は少々風邪気味です。
 突然ですが、下の写真をみてどこだかお分かりになるでしょうか?

 

 これは、愛知県名古屋市にあります真言宗智山派の別格本山「北野山真福寺寶生院」です。 どちらかと言うと「大須観音」と言った方が一般的でお分かりになるかもしれません。
 実は、来年の平成24年2月14日(火)〜2月16日(木)に、錫杖寺の団参としてこの「大須観音」にお参りすることが決まっています。 先日、別件で名古屋まで行きましたので個人的にお参りをさせていただきました。
 私は以前にもこのお寺にお参りに連れて行ってもらったことがありました。 しかし、恥ずかしながらあまりよく覚えていませんでした。 記憶にあったのは、大勢の人がお参りをしている姿や、大正琴の発祥の地であること、大きな商店街があることでした。

 

 お昼時にお参りをさせていただきましたが、たくさんの方がお参りをされていました。 中には、外国の方もお参りをされていて、ご本尊さまの御前にて合掌している姿を見て少し驚きました。 私がご本尊さまの御前にて合掌して、ご縁をいただいてからは10年以上がたちますが、以前と同様にお参りができたことに嬉しい気持ちになれました。 その時にいただいた金襴のお守りは、本来ならばお納めをしなければならないところですが、今でも大切に保存しています。 このお守りを持っていると、このご本尊さまともご縁が結ばれている気持ちになれるからです。

 遠くにいてもどこかで繋がっている。 これは、家族や大切な人はもちろんですが、自分でご縁を結んだ仏さまも同じだと思います。 そして、仏さまと繋がっていると感じることは、以前にも「三密加持」のお話をさせていただいた時に触れましたが、「心を三摩地(さんまじ)に住す」ということ。 つまり「心を仏さまと同じくする」ということにもなると思います。 そう考えると仏さまを感じることはさほど難しいことではないように思えます。
 1度でもお参りをしたことがある仏さまは、間違いなくご縁が結ばれています。 ここ錫杖寺をお参りしてくれた方々も、錫杖寺の本尊さまとご縁が結ばれています。 いつも「お地蔵さまが一緒にいる」と思っていただければ嬉しいです。 錫杖寺はご本尊さまだけでなく、私たちもいつでもみなさまのお参りをお待ちしています。

 錫杖寺の山内は、新しい年を迎える準備を始めました。 ちょうちんが取り付けされていく様子を見ていますと、もう今年も終わってしまう寂しい気持ちになります。 今年は私の人生の中でも今までにないほど多くのことを感じた1年でした。
 このちょうちんが、少しでも震災で被災された方々へのご供養の灯火や、震災復興を願う祈りの灯火となり、ご本尊さまとともに新しい年を迎えることができるようにお祈りしたいと思います。
 今年もあと少し、数えるほどとなりました。 1日も早い復興を願い、来年も精進したいと思います。 みなさまどうぞよいお年をお迎えください。 今年1年ありがとうございました。

合掌

(2011.12)
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etude〜法話編〜

 11月も終わろうとしていますが、暖かい日が続いています。 例年ならば山内の紅葉している葉は落ちて、寂しい風景になるはずが、今年は長い期間、紅葉を楽しむことができそうです。 突然寒い冬が訪れそうで風邪を引かないか心配です。
 この時期になりますと、そろそろ来年の予定などが分かってきて、新しく手帳を購入される方が多くなるようです。 中には日本特有の年度(4月始まり)にて交換する人もいると思いますが、多くの人は年変わり(1月始まり)の手帳を使っていると思います。 ちなみに、手帳を新しくして初めにすることは、記念日などを書き込むことだそうです。 家族や友人のお誕生日がそうでしょうか?
 最近では小学生や中学生もかわいらしい手帳を持っているようで、時々見かけることがあります。 きっと友人のお誕生日や遊びに行く予定などが書きこまれているのでしょう。 記念日を大切にするというのはよいことです。
 しかし、同じ記念日でも、家族や友人のご命日を気にする人は誕生日ほど多くないように感じます。 ご命日を記念日とすることに違和感を覚える方もいらっしゃると思います。 でも、よく考えてみると、ご命日とは大切な人がお亡くなりになった悲しい日であると同時に、仏さまになった日でもあるのです。 言い換えれば、仏さまとしての誕生日なのです。
 ご法事をご命日に行うことや、お墓にお参りすることは、ご供養のためですが、このご供養の気持ちには「仏さまに喜んでほしい」という気持ちも含まれていると思います。
 最近では、少人数でのご法事も増えてまいりました。 親しい方々にご供養をいただけるのは仏さまも大いに喜ばしいことだと思います。 これは私個人としての考えですが、誕生日などの記念日を多くの方から祝ってもらえたら嬉しいように、法事などのご供養も、ひょっとしたら多くの方にしてもらえたら嬉しいのではないかと思います。

 

 さて、今回の題名につけた「etude」とは、「即興劇」と訳すことができ、演劇学校や部活動などで勉強のために行われるのはもちろん、芝居の役をより認識するために行うことが多いようです。 台本がないので、自らセリフを考え、表現をしなければなりません。
 私たちは、考えをまとめた状態で、ご法話などのお話ができるわけではありません。 釈尊やお大師さま(弘法大師)がそうであったように、相手に合わせてお話をしなければなりません。
 年に何回かしか会えない友人と会ったときは、私は「最近どう?何か悩みはない?」と聞き、できるだけ「etude」をお願いします。 この場合の「etude」は「即興劇」ではなく、法話としての「etude」です。
 今回は最近の「etude」を少しですが紹介したいと思います。

 友人 「何か元気がでる話をしてくれないか?」
 駒井 「今の自分が幸か不幸かを決めるのは自分だと思う。 どんなに努力しても報われないときもある。 そんな時、自分の存在が虚しく感じることもあると思う。 でも、それを何かと天秤にいかけて比較し、不幸と断定することはないと思う。 生きているだけで幸せ、ふつうに生活できるだけで幸せって思っている人はたくさんいる。 そう考えると今思っている不幸は全く不幸ではないかもしれない。」
 友人 「職場でなんか鬱気味になる。 この前も配布資料が自分だけ机でなくてイスの上だったし・・・」
 駒井 「それは単に机の上に置く場所がなかったからじゃないの? たくさん書類があって、勝手に置いたらよくないって気を使ってくれたからじゃないの? 自分だけ人と違うからといって、自分が蚊帳の外みたいに感じることはないと思う。 ちょっとした思い込みで自分を苦しめてしまっている可能性があるかもよ? 他人と同じでありたいと思う気持ちは分かるけど、仏さまだってみんな違う訳だし、無理に合わせたり疎外されているように感じたりする必要はないと思うよ。」

 恥ずかしながらこのようなことをしています。 このような「etude」がいつか成果を発揮できる日がくるまで「日々精進」するしかないですね。
 今年はいろいろとありました。そんな2011年もあと1ヶ月です。 無駄な時間を過ごさないように1日1日を大切にしたいと思います。

合掌

(2011.11)
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ひと言で世界は変わる!

 もう10月も終わろうとしています。 10月になり衣を冬用のものへ交換をしました。 しかし、例年に比べて暑い日が多く、冬服を着るのには少し早い気がします。 それでも少しずつ散っていく葉や、稲刈りをした田から感じる籾殻を燃やす匂いを嗅ぐと、冬へ向かっている気がしてきます。

 

 今月は年1回の「錫杖寺写仏会」がありましたので、その紹介をしたいと思います。 今年で11回目を迎え、例年通り多くの方にご参加をいただきました。 驚いたことに祖母の方と一緒に小学生も参加してくれました。 寺子屋もそうですが、子どもたちがこのように寺院の行事に参加をしてくれることはありがたいことです。 子ども用の写仏ではなかったので難しかったと思いましたが、非常に丁寧にきれいに写してくれました。

 

 今回は、「弥勒菩薩」を写仏してもらいました。 この「弥勒菩薩」というのは、どのような仏さまかというと、現在は「兜率天」という天の世界にいて、修行をしている仏さまです。 釈尊の入滅後の56億7千万年後に釈尊の次の仏陀(悟ったもの)としてこの世に現れて私たちを救ってくれる仏さまです。
 「弥勒菩薩」というと、想像するのはロダン作の「考える人」のように、右手の薬指を頬へあて、考えごとをしている姿が有名です。ちなみに「弥勒菩薩」は考えごとをしています。では、何を考えているかというと、どのようにして私たちを救済したらよいのかを考えているのです。なぜなら、現在地球の人口が70億人と言われていますが、70億人すべてのひとに悩みはあり、その内容も違うからです。

 

 先日私の地元で「檀信徒教化推進会議」が開催されました。 この「檀信徒教化推進会議」というのは、少しでも仏教を身近に感じてもらいたいと思い活動をしている行事の1つです。 ちなみに、11月には、錫杖寺を含め川口の近隣の寺院で、栃木の出流山満願寺に参拝に行く予定です。 当日は、近隣寺院の僧侶だけでなく、多くの檀信徒の方にご出席をいただきまして無事に開催することができました。
 今回の講師の先生は、大谷貴子先生という笑顔が素敵で親しみやすい先生でした。 先生のお名前をご存知の方もいらっしゃると思います。 先生はご自身の病気であった慢性骨髄性白血病を克服された方で、日本における骨髄バンクの創設をされた方です。 まだ日本に骨髄バンクはなく、骨髄液を移植して治療をするという方法が確立されていない時代に、余命数ヶ月という状態からも治療を続け、母親からの移植を成功させました。  当初、助かる可能性は1%と宣告をされたそうです。 この1%とは医師の言葉に置き換えると、助かる見込みはほぼないという意味だそうです。 先生は1%と宣告をされ絶望をしたと言っていました。 しかし、そこで先生を救ったのはお姉さんの 「1%もあるんですか」 というひと言だそうです。 もし「1%しかない」と可能性を断定し、マイナスの考え方しかできなければ、先生は治療をあきらめていたかもしれません。 言葉にしてみると日本語の「も」という1文字ですが、先生はこの1文字に救われています。 たった1つの助詞の使い方で人を救うことができると感じました。
 また、お話の中でお姉さんはよく登場しました。 私は先生のお話の中から想像しているだけですが、非常に前向きな方で、先生を大切にされている方と感じました。 人を幸せにできるのは人で、それは言葉であり時に動作であり、そしてたったひと言でもあるのです。
 先生ご自身もそうですが、白血病を克服された方々は年齢に関係なく人の役に立ちたいと強く思うそうです。 骨髄移植を受けられた方は、自分も誰かの力になりたいと強く感じるとお話されていました。 私たちは弥勒菩薩ではありません。 1人で70億人分の悩みは救済できないと思います。 でも1人なら助けることができるかもしれません。 2人なら助けることができるかもしれません。
 世の中には障害や病気で苦しんでいる人が多くいます。今私たちにできることは何でしょうか?

合掌

(2011.10)
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私と秋と1冊の本と・・・

 9月も終わりに近づいてきました。 ありがたいことに、この「康秀街道〜こうしゅうかいどう〜」も3年目を迎えることができました。 過去2年間の自分の文章を読み返してみると、うまく自分の思ったことを表現できないときもあり、恥ずかしい思いでいっぱいです。 しかし、毎月1回という少ない中でも、お話をさせていただけることをうれしく思います。 ホームページでのお話なので、一方通行かもしれませんが、毎月楽しみに待っていただいている人がいると思うと、大変光栄なことと感じます。これからも応援よろしくお願いします。
 秋のお彼岸を迎える前に、寺務所の受付の前がきれいになりました。 今年の始めに私たち僧侶でご奉納させていただいた石の灯籠ですが、東洋ランテック(株)のご協力をいただきまして、土盛りをして樹木を植えただけで全く見栄えも変わってしまいました。 暗くなると優しい灯りを放ち私たちを迎えてくれます。これに虫の鳴き声が合わさると何とも言えない秋の風景を感じます。 こういうのを先人たちは「をかし」といったのでしょうか?

 

 今年は昨年のように、お彼岸を迎えても30℃を超える日はなく、少し涼しく感じるような1週間でした。 お彼岸中は連休と重なったこともあり、多くの人にお参りにきていただきました。 その中で今回はうれしいことがありました。
 先月の「錫杖寺寺子屋−錫門キッズ」に参加してくれた子どもたちが、家族の方と一緒にお参りの後、私たちにも会いにきてくれました。 きもだめしでは怖いと感じたお墓も、昼ならば怖いと感じることもなかったようです。 お墓をお参りするときに「南無大師遍照金剛」とお唱えはできたでしょうか?
 私たちは、仏さまをお参りする際に大切にしなければならないことがあります。 それは「手に印契(いんげい)」・「口に真言」・「心を三摩地(さんまじ)に住す」ということです。 簡単な言葉に置き換えると「手を合わせる(=合掌する)」・「真言をお唱えする」・「心を仏さまと同じくする」ということです。 この「心を仏さまと同じくする」というのは、もう少し言葉を置き換えると「仏さまのことを思う」ということです。 例えばご先祖さまや家族のお墓をお参りするときは、その仏さまにご供養の気持ちを捧げればよいのです。 ちなみにこれらを「三密加持(さんみつかじ)」といい、これによって仏さまと出会うことができるのです。
 以前、仏さまと出会う方法として、お仏壇をきれいにすることなどを挙げましたが、この「三密加持」を実践しても仏さまに出会うことができると思います。 仏さまに出会えたら教えてください。

 

 朝夕が寒くなってくると、少しずつ秋の気配を感じることができます。 「読書の秋」といいますが、今思い返してみると、小さいころの私はあまり本を読むことが好きではありませんでした。 小学校の頃に「春の読書週間」・「秋の読書週間」がありましたが、あまり本を読んだ記憶がありません。 しかし、ある1冊の本との出会いが私の運命を変えました。 それは小学校4年生のとき母親からもらった那須正幹先生の『1234567』という本です。 現在は残念ながら絶版になってしまったようですが、その当時の私にとっては読みやすく、何度も読み返した記憶があります。
 また、那須正幹先生の代表作ともいえる 「ズッコケ三人組シリーズ」 は、すべて購入することができなかったので、図書館で借りて時間を見つけて読みました。 私は覚えていないのですが、弟が誤ってこれらの本の帯を破ってしまったときは、ものすごい形相で怒ったようです。 それくらい本を大切にするようになりました。
 不思議なもので1冊の本が私を変えてしまったのです。 人間は何かのきっかけで簡単に変わってしまうこともあるようです。 例えばよいきっかけがあると、もし今は勉強が好きではなくても、ひょっとしたら好きになるかもしれませんね。
 そのようなことを考えていたら、久しぶりに 「ズッコケ三人組シリーズ」 が読みたくなってきました。 現在では 「ズッコケ中年三人組シリーズ」 という続編があるようです。
 今年の秋は「読書の秋」にしてみたいと思います。 みなさまも「読書の秋」はいかがですか?

合掌

(2011.09)
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お化けなんて怖くない!

 8月ももうすぐ終わろうとしています。 まだ暑い日が続いていますが、夕暮れが少しずつ早くなった気がします。 今年はどのような秋がくるのでしょうか? 昨年のように暑い日が続かないとよいのですが・・・。
 今月は「錫杖寺手記」でもご紹介をさせていただきましたが、「寺子屋」を開催いたしましたので、この「康秀街道」でもご紹介したいと思います。

 8月9日〜10日に「錫杖寺寺子屋―錫門キッズ」と題して寺子屋を開催いたしました。 両日とも晴天に恵まれましたが暑い日でした。 この寺子屋に関しては、関係各位の多大なるご尽力をいただいて無事に修めることができました。
 大変ありがたいことに、7月末までの申込み期限を待つことなく、受付を終了とさせていただくほど反響がありました。 当初の募集人数を大幅に上回る39人の子どもたちに参加をしていただきました。
 この寺子屋に関しては、錫杖寺で開催することが初めてということもあり、正直なところ開催までは苦労を要しました。 まず苦労したのがプログラムの作成です。もちろん基となる資料がありませんので、他のご寺院を参考にさせていただきました。 しかし、時間配分が難しく、やりたい項目は多々あるものの妥協をせざるをえないものもありました。 そして、その中でも錫杖寺の特色を出していく方法や我々の能力を活かす方法などを模索しました。

 当日は円滑に進めるために、子どもたちをいくつかの班に分け、年長となる子どもを班長に指名して、班をまとめてもらいました。 名前も知らない異なる学校や学年の子どもたちで構成された班の中で、一生懸命リーダーシップをとってくれた班長もいました。
 カレー作りでは、これらの班ごとに仕事を分担しましたが、それぞれよく働いてくれました。自己紹介やゲームの時は緊張して話すことができなかった子どもたちが、共同作業を通して、次第に打ち解けていく過程を見ることができました。  私たちも総本山などで修行を行うときは全国から僧侶を志す人が集まります。老若男女ばらばらです。子どもたちを見ていると昔の自分たちを見ているような気がしました。 苦労して作ったカレーはおいしかったようで、おかわりをする子が多くカレーが無くなってしまうハプニングまでありました。
 また、きもだめしもこの班ごとに実施をしましたが、怖かったのか大泣きしてしまった子どももいました。この時も班長をはじめ年長者がよく面倒を見てくれました。 子どもたちの絵日記を見る限り、この寺子屋で最も印象に残ったのは、きもだめしで、怖くも楽しかったようです。

 この寺子屋で気を付けたことは、ただの「お泊り会」にしないということです。もちろん寺子屋の趣旨として「お寺で修行をする」ということを守らなければ意味を成しません。そのため、食事の前の作法なども子どもにも理解できる内容にしてお唱えをしました。朝のお勤めはもちろん作務や正座なども手を抜くことなく実践をしてもらいました。特に正座は普段実践する機会が少ないのか短時間でも我慢できない子どももいました。逆に子どもたちの絵日記を見る限り、この正座の時間が最も辛かったようです。
 私は、この寺子屋を通して驚いたことがありました。 それは、僧侶が読経をしている時のことです。 開講式ではただ座っていただけの子どもたちが、閉講式では、誰に言われたわけでもなく、自ら難しい「光明真言」や「南無本尊界会」・「南無大師遍照金剛」・「南無興教大師」と真言をお唱えしてくれました。 この2日間という短い期間の中で、子どもたちが自発的に真言をお唱えできるようになるまで成長してくれたことが何よりも嬉しい瞬間でした。

合掌

(2011.08)
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「お帰りなさい」→「ただいま」

 7月も暑い日が続きました。 ただ、月末は暑さも少し元気をなくし太陽も省エネ活動をしているように感じます。 今年は秋が早まるのか気になります。
 今月は24日に「大施餓鬼法要」が行われましたのでご紹介したいと思います。
 例年に比べると暑く感じることは少なかった為、空調を控え節電に協力することができました。 また、多くの檀信徒各位に本堂に上がっていただきましてご供養をしていただきました。 約3時間という長時間の法要になりましたが、全てにご出席くださった方もいらっしゃいました。
 「大施餓鬼法要」ですが、まず13時のご詠歌のお唱えより始まります。 人前でご詠歌をお唱えするというのは、考えてみると簡単そうで難しいことかもしれません。 もし「誰かが唱えるから少しくらい手を抜いても大丈夫だろう」と怠惰な気持ちがあると、仏さまに届くどころか人の心にも届かないと思います。 今年のご詠歌も素晴らしいものでした。 聴くことができなかった方は、ぜひ来年聴いていただきたいと思います。

 次に14時からはご法話があります。 今年は「仏さまと出会う−あなたの可能性を見つけよう」というお題のもと、片野真省先生よりお話をしていただきました。 先生のお話は分かりやすいだけでなく、聴いていて非常に楽しいお話です。 私も先生のご法話を聴かせていただきました。 話し方や声の大きさなどどれも大変勉強になります。 いつか先生のようにお話できるように精進しなければなりません。 しかし、まだまだ道は遠いようです。
 そして15時から20人の僧侶を中心に檀信徒各位にもご供養をいただきます「お施餓鬼法要」となります。 毎年この法要の途中で「般若心経」を全員でお唱えしますが、今年は人数が多かったので壮大な「般若心経」となりました。
 私が修行しているときによく言われたことがあります。 それは 「間違えてもよいから心をこめて大きな声でお唱えする」 ということです。 もちろん間違えてしまった場合、恥ずかしい思いをすることになります。 経典をお唱えする勉強を始めたばかりの頃は、人前で大きな声を出すのは恥ずかしく、声が震えていた記憶があります。 もちろん私も間違えることや恥ずかしい思いをしたことも多々ありました。 声の大きさは人それぞれ違うので、大きな声でお唱えすると言われてもなかなか難しいことかもしれません。 しかし、大切なのは心をこめて一生懸命お唱えすることなのです。

 錫杖寺では7月にご供養いただきましたが、日本のほとんどの地域は、これからお盆になります。 お盆は仏さま・ご先祖さまが自宅に帰ってくる短くても大切な期間です。 お仏壇は、仏さま・ご先祖さまの大切なお家です。 汚れたままでは、当然失礼になります。 きれいにお掃除をして迎えていただけたら、それも1つのご供養になると思います。
 もちろん、お仏壇の前で「南無大師遍照金剛」と大きな声でお唱えをしていただくのは素晴らしいご供養になります。 しかし、仏さまやご先祖さまは遠い存在ではありません。 身近で親しい存在です。
 13日のお迎えをしたときは「お帰りなさい」と声をかけてみるのもよいかもしれません。 すると「ただいま」と声が聞こえるはずです。 また、16日にお送りをしたときは「行ってらっしゃい」と声をかけてみるのもよいかもしれません。 きっと「行ってきます」って答えてくれます。
 今年の先生のご法話「仏さまと出会う−あなたの可能性を見つけよう」を聴いて思いましたが、何か特別な経典や真言をお唱えすることが、仏さまと出会える方法ではないと思います。 仏さまのことを考え、自分がよいと思ったことを実践することで、仏さまと出会えるのだと思います。 身近なところでも可能性は無限大です。 「お帰りなさい」という言葉1つでも十分だと思います。ぜひ実践してみてください。 そして、みなさまもこの夏は仏さまに出会ってください。

合掌

(2011.07)
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迷路には必ず出口があるものさ!

 暑い日が続いています。 この夏は例年以上の節電を考え生活しなければなりません。 7月より政府は「電力使用制限令」を発動するようです。
 この6月下旬には驚くような暑さの日がありました。 24日に埼玉県の熊谷市では39.8度というとてつもない気温を記録しました。 こういう機会でもない限り、気温のことについて考えることはありませんが、よく考えてみるとこの39.8度というのはすごい数字であることが分かります。 私たち「ヒト」とよばれる動物の体温が35度〜37度くらいです。風邪をひいて体温が上がってもここまではいかないと思います。 これから梅雨が明けてさらに暑い日が続くようになると思うと少し怖い気がします。
 錫杖寺手記にも掲載いたしましたが、今月10日に「宝珠会青葉まつり」が、錫杖寺にて行われましたのでご紹介したいと思います。

 「宝珠会青葉まつり」について説明しますと、 「宝珠会」は錫杖寺を含め近隣の真言宗智山派の寺院を中心に作られている会で、簡単に言いますと寺院同士の親戚のようなものになります。 「青葉まつり」は、真言宗の宗祖・弘法大師空海と中興の祖・興教大師覚鑁のご誕生を祝う行事のことを言います。 ちなみにこの2人のお大師さまを「両祖大師」とお呼びすることもあります。
 では、どのようにこのおめでたい行事を行っているかというと、私たち「宝珠会」では、ご詠歌を奉詠しています。 ご詠歌の中には「両祖大師誕生和讃」という曲もあり、まず参加していただいた各寺院のご住職やご詠歌の講員のみなさまでのお唱えをいたしました。 50人を超える人数でのご詠歌のお唱えは迫力がありました。 きっと両祖大師さまのもとへと届いたと思います。 続いて、各寺院のご詠歌支部のお唱えですが、こちらも大変素晴らしいものでした。 2年に1度という「宝珠会青葉まつり」ですが、これからも大切な行事として守っていきたいと思います。

 また、今月は隣にあります「本町小学校」の3年生が、総合的な学習「本町の町はかせになろう」という授業で錫杖寺まできてくれました。 なんと、人数が子どもたちだけで約180人と本堂が狭く感じるほどでした。
 学習の内容としては、錫杖寺の歴史を中心としたものでした。 錫杖寺に1000年以上の歴史があることに非常に驚いていました。 すぐ隣のことでも知らないことはたくさんあるようです。
 「灯台下暗し」(とうだいもとくらし)ということわざがあります。 これは「灯台の直下はあかりが暗いように、手近の事情はかえってわかりにくいものである」(広辞苑)とうい意味です。 この「灯台」とはロウソクを置く台のことで、港で明かりを照らすものではないそうです。 私も本町小学校について知らないことがたくさんあるので、今度子どもたちに聞いてみようと思います。 また、子どもたちからの質問の中には私たちが普段考えつかないようなものもあり、柔軟な考え方や物の見方に驚かされました。

 6月中旬で東日本大震災から100日経ちました。 時間の感じ方は人によりそれぞれ違うと思いますが、私には早く感じられました。 この期間、進まない復興支援に憤りを感じている方々も多くいらっしゃると思います。
 現在の日本は、まるで迷路の中にいて出口がわからずに模索しているように感じます。 しかし、迷路というのは、左手を壁につけて進んで行けば必ず出口にたどり着くことができるそうです。 一般的に「左手の法則」などと呼ばれることもあります。 ただし、同じ道を戻ってしまうこともあれば、無意味なところを経由しなければならない場合もあります。 つまり、時間がどうしてもかかってしまいます。 しかしながら、必ず出口にたどり着けるという点では、遠回りも無意味ではないはずです。
 迷路には必ず出口があります。 1日でも早く迷路の出口から出て、1人でも多くの人が笑顔になれる日がくることを祈っています。

合掌

(2011.06)
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小学生は帰り道に何をする?

 5月も終わろうとしています。 最近まで水も入っていなかった田んぼには、小さい稲が所狭しと植えられていました。 夜になって耳を澄ませば、蛙の大合唱が聞こえてきます。もう衣替えの季節です。
 今年は1951年の統計開始以降2番目の早さで梅雨入りをしたそうです。 ちなみにもっとも早かったのは今から48年前の1963年でなんと5月6日とのことです。 どのような気候だったのか気になります。
 この「梅雨(つゆ)」という言葉は、よく考えてみると不思議です。 漢字だけで読むならば「ばいう」と読むことが正しいと思います。 実際にこの時期に雨を降らす前線のことを「梅雨前線(ばいうぜんせん)」と読んでいます。 しかし、日本の漢字の中には「熟字訓」というものがあり、特殊な読み方をする言葉が他にもいくつもあります。 身近な言葉としては 「昨日(きのう)」「今日(きょう)」「明日(あした)」も「熟字訓」です。 ちなみに「熟字訓」とは、簡単にいうと漢字2文字以上の熟語そのものを訓読みすることを指します。

 今月は「写経会」がありましたので、ご紹介したいと思います。 今回でなんと15回目となりました。 1年に1回という少ないなかで、15回を迎えられたことは大変ありがたいことです。 これも偏にご参加をいただいている方のご協力あってのものです。 ありがとうございます。
 この「写経会」ですが、今年も 『般若心経』 を写経していただきました。 この 『般若心経』 に関しての簡単な説明は、昨年ご紹介をさせていただきましたので、今回はもう少し細かい内容に触れてみたいと思います。
 真言宗でお唱えをする場合は、一般的な 『摩訶般若波羅蜜多心経』 に 「仏説」 という言葉を付けて 『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』 と呼びお唱えをします。 このことは昨年もお話させていただきました。 ではなぜ 「仏説」 という言葉を加えるかというと、お大師さま(弘法大師)の著作である 『般若心経秘鍵』 が関係してきます。
 この 『般若心経秘鍵』 とは、お大師さまの考えを交え論じた 『般若心経』 の解説書のようなものと考えることができます。 一般的に 『般若心経』 というと、玄奘(げんじょう)が天竺(インド)より持ち帰り翻訳した 『大般若経600巻』 の内容をまとめ凝縮したものと流布されています。 しかし、お大師さまは、この 『般若心経秘鍵』 の中で 『般若心経』 が 『大般若経600巻』 の内容をまとめ凝縮したものではなく、 釈尊がお説きになった内容を含むひとつの経典であるから 「仏説」 であると考えました。
 そのため、私たち真言宗の僧侶はじめ檀信徒は、お大師さまのお考えに従いこの 『般若心経』 をお唱えするときは 『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』 とお唱えをするのです。文字は少なくても大切な経典です。

 今年は梅雨入りが早かった分、例年より多く雨が降るかもしれません。 雨の日の小学校の帰り道に蝸牛(カタツムリ)と出会い、突っついたことを思い出しました(「蝸牛」も「熟字訓」ですね)。 雨の日ではないですが、やはり小学校の帰り道に四葉のクローバーを探したこともありました。 また、理由はわかりませんが普段とは違う道で家に帰ったこともありました。 昔のことでも意外に思い出せることが多くて驚きました。 みなさまは小学生の頃、学校からの帰り道で今も覚えていることは何かありますか?
 雨の錫杖寺は山道が大変滑りやすくなります。 お参りにいらっしゃる方はお気をつけていらしてください。

合掌

(2011.05)
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〜天上天下唯我独尊〜

 4月も終わろうとしています。気がつけば桜の花びらは散ってしまい、少しずつ田植えをしている光景を見ることができるようになりました。今年はあまり感じることができませんでしたが、知らないうちに春から初夏へと向かっています。
 今月は 「茶筅供養」、「釈迦誕生花まつり」 が行われましたのでご紹介したいと思います。

 今年の 「茶筅供養」 は、風もなく天気に恵まれ暖かい1日となりました。昨年に続き多くの方に来ていただきまして、川口茶道会の先生方のご指導の下、大切な供養をすることができました。茶筅を納められた方々は真剣な表情で両手をしっかりと合わせていました。 私は、茶道の心得はないにしてもお茶をいただく機会はあります。 恥ずかしながらお茶のまねごとをして抹茶を自分でいただいたことがありますが、なかなか上手にできません。同じような茶筅を使っても、抹茶の味がまったく違ってしまうことを不思議に思います。

 釈尊がお生まれになった4月8日には 「釈迦誕生花まつり」 を行いました。当日は雨こそ降らなかったものの非常に風が強かったので、予定を変更して地蔵堂の中で行いました。
 錫杖寺では、法要とご詠歌の奉詠を行い、ご参列いただきました方々に甘茶をかけて供養をしていただいています。 毎年思っていますが、甘茶をかけられる釈尊の誕生仏のお姿が小さくて非常にかわいらしいのです。 そんなかわいらしい誕生仏のお姿ですが、よく見てみると、右手は天を指し左手は地を指しています。これは、釈尊が母である摩耶夫人の右の脇腹からお生まれになった後、ただちに7歩あるいて右手で天を指し左手で地をさして獅子吼(ししく)した様子をお姿にしたものです。ちなみに獅子吼(ししく)とは 「仏が説法するのを獅子が吼えて百獣を恐れさせる威力に例えていう語。真理・正道を説いて発揚させること」(広辞苑) とありました。そしてこのときに言った言葉が、今回の題名でもある 『天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)』 と言われています。
  この 『天上天下唯我独尊』 という言葉は非常に解釈が難しい言葉です。 漢字からそのまま内容を読み取れば 「この世の上にも下にも私はただひとり尊い存在である」 となります。 また辞書(広辞苑)で調べてみると 「(釈尊が生まれた時、一手は天を指し、一手は地を指し、7歩進んで、四方を顧みて言ったという語)宇宙間に自分より尊いものはないという意」 とありました。 つまり、単純に考えると「私は尊い=偉い」と読み取ることができます。 では、なぜ解釈が難しいかというと、ここでの「我(=私)」のとらえ方が単純ではないからです。 釈尊の口からおっしゃった言葉である故に 「我=釈尊」 と考えることもできますが、「我=個々(ひとりびとり)」 と考えることもできます。 この『天上天下唯我独尊』を広義に解釈するならば 「この世の上にも下にも私たちひとりびとりは、ただひとりとして尊い存在である」 と解釈することができます。言い換えれば、私もあなたもそれぞれが尊い存在ということになります。
  私たち日本の人は、外国の人と比較して自分のことを好きになれない。自分に自信がないと思っている人が多いようです。しかし、自分は尊い存在なのです。もし他の人と比較して自分が劣っていると感じても、勝っていることも必ずあるはずです。それぞれの違いを理解し認めることは大切なことだと思います。
 よく考えれば、仏さまだってみんな姿も形も違いますかね。

合掌

(2011.04)
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人として・・・

 はじめに、この度の東北地方太平洋沖地震の災害により被害を受けられました方々、また被災地に所縁のある方々へ心よりのお見舞い申し上げます。また、この災害によりお亡くなりになられました方々のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。
地震の当日、3月11日午後2時46分、私はここ錫杖寺にいまして、檀信徒の方からいただきました電話の対応をしていました。しかし、今まで感じたことのない揺れに電話を切り、急いで玄関より寺務所の外に避難をしました。かろうじて立っていることはできましたが「地蔵堂」の鍵のかかっているはずの扉はバタンバタンと音をたてながら左右に揺れました。崩れないと思っていた「八面塔六地蔵尊」は起き上がり小法師のようにぐらぐらと揺れて目の前で倒れていきました。山門を入るとすぐに見える背の高い十七重の塔は、その先端が落下しました。江戸期の石の灯篭がドカンという音と共に崩れていきました。鐘楼堂の鐘は、あの重さからは考えられないくらいの弧を描きながら激しく揺れていました。今になって思いますが、あの瞬間は私のこれからの人生で忘れることはないでしょう。
先日、この震災でご家族を亡くされた方とお会いしました。正直なところ私はなんと声をかけたらよいか全く分かりませんでした。そして「この世の地獄だった。津波が全部持っていってしまった。何もないよ。本当に・・・」と言った言葉を今でも非常に重たく感じます。
震災では信じられないほどの多くの方々が、その尊い命を落とされました。日本のメディアでは報道されることがありませんが、海外のメディアでは想像を絶するような写真が掲載され、映像が放送されています。当然目を覆いたくなるようなものもあります。しかし、私たちは決してこの現実から目を背けてはいけないと思います。これらの写真や映像と正面からしっかり向き合い、多くの尊い命を落とされた方がいるという事実をもっと身近に知るべきです。そして、忘れてはならないのは、今この瞬間も私たちのために働いてくださる人がいるということです。
こういうときは「感謝」の気持ちを忘れがちになります。仏教の言葉の1つに「報恩謝徳」という言葉があります。いただいた自分の命に感謝すること。そして、現在でも全力で働いてくださる人に感謝をすること。人として、この気持ちをいつまでも忘れずにいたいものです。

 この「康秀街道〜こうしゅうかいどう〜」では、毎月変わらずにお寺のことを紹介しています。
3月も「春彼岸会法要」がありましたので紹介したいと思います。
情勢が不安定な中、無事に修めることができましたのは関係各位ならびにご参拝くださいました方々のご協力あってのものです。春のお彼岸は「祈り」の1週間といわれています。 当日はあいにくの雨の1日でしたが、みなさまと共にお祈りできましたことをありがたく思います。
もう春です。この春が、いつもより暖かい春になってくれることを祈っています。

合掌

(2011.03)
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日々精進

 2月がもう終わろうとしています。今月は雪が降って積もるような寒い日もあれば、春一番が吹いて暖かくなるような日もありました。これほど目まぐるしく気候が変化する月は珍しいですね。ただ2月の「如月」(きさらぎ)という言葉は「衣更着」(きさらぎ)という言葉にも置き換えられるように、寒い日が多いのは今も昔も変わらないようです。
今月も年中行事の1つであります「節分会大護摩供修行」を無事に修めることができました。今年も寒い1日でしたが、昨年のように雪が降ることもなく天候に恵まれました。「節分会大護摩供修行」のみ行われる僧侶と山伏の2台の太鼓による祈願は、かなりの迫力で、読経の声をかき消してしましそうな大迫力です。ご参加いただきましたみなさまの諸願が成就されますことをお祈りしています。

 また錫杖寺のご詠歌講の年中行事の1つであります「涅槃会」も無事に修めることができました。今年は例年よりも少しだけ長く「涅槃図」を本堂にお飾りをいたしました。恥ずかしながら、この「涅槃図」を見る機会は多くなかったので、今回はよく観て学習させていただきました。すると、いくつか新しい発見がありました。
例えば、釈迦十大弟子の1人である阿難(アーナンダ)が釈尊の前で悲しみのあまり失神してしまっていること。それを蘇生させようとしている人がいること。沙羅の樹が白く変色してしまっていること。釈尊の母である摩耶夫人が、とう利天(とう=小+刀)から釈迦十大弟子の1人である阿那律(アヌルッダ)とともに駆けつけようとしていること。どれも新しい知識なので新鮮に感じます。
「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」ということわざがありますが、知らないでいることはやはり恥ずかしいことなのです。まだまだ私には精進が足りないようです。

 「川口天満宮」の傍らにある梅が少しずつ咲き始めました。見落としてしましそうな小さな梅の木ですが、きれいな花を咲かせてこれから訪れる春を知らせてくれます。なお「天満宮」は古くより学業成就の神さまとして信仰されています。錫杖寺の「天満宮」の絵馬は「合格」にかけまして「五角」のものを奉納していただいております。

 先日、「今年、錫杖寺の五角絵馬を奉納したのですが、受験に合格することができました。絵馬はどうしたらいいですか?」とのお電話をいただきました。 まず、絵馬を奉納された方が受験に合格できたと聞いて、とてもうれしい気持ちになりました。しかし、受験に合格できたのは「天満宮」に絵馬を奉納したからではなくて、強い気持ちを持って精進をされた結果だと思います。
私も負けずに強い気持ちを持って日々精進したいと思います。

合掌

(2011.02)
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うさぎから学ぶことは・・・

 平成23年になりました。昨年中はこの「康秀街道」をご覧くださいましてありがとうございました。今年もより錫杖寺のことや身近なことをお伝えできるように精進します。変わらず応援よろしくお願いします。
例年開催をしております「四国八十八カ所お砂踏み」は昨年より多くのご参拝をいただきました。新年早々にお大師さまと共に徳をつんでいただくことは、大変すばらしいことだと思います。ご参拝いただきました方々が、今年1年お大師さまと共によい1年をお過ごしになれますようご祈念申し上げます。
また、今年の「延命地蔵尊万灯会」も関係各位のお力添えをいただきまして、無事に終了することができました。今年も山内をはじめ、参道付近にも多くのちょうちんを飾り、お参りにいらっしゃる方々をお迎えすることができました。ご協力をいただきました方には深く御礼申し上げます。

 さて、今年は干支でいうと「卯年」(うさぎとし)です。よく言われることですが、うさぎはぴょんぴょんと跳ねるということで「飛躍」の1年になるようにしたいものです。
そんなうさぎに関する有名なお話があります。諸話ありますので、一度は耳にしたことがあると思いますが、『今昔物語集第五巻天竺』に収められている『三獸行兎燒身語第十三』を例に挙げてみたいと思います。

 今は昔、天竺で兎、狐、猿の三匹が、誠の信心を起こして菩薩道を修行していた。自分達が今獣の身に生まれているのは、前世で犯した罪が重かったからだ。今生こそ善行を積んでこの身を離脱しよう。そう決心した三匹の行いはまことに立派なものであった。
これを観た帝釈天は三匹の誠の心を試そうと思い、力なく疲れ果てた老人の姿になって三匹の前に現れた。老いた哀れな老人を三匹は実の親のようにいたわり、猿は老人に食べさせるために木に登って栗・柿・梨などの実を集め、里に出ては瓜・茄子・大豆・小豆・粟などを手に入れてきた。狐は墓小屋に行って人がお供えしたご飯・鮑・鰹・種々の魚などを持ってきた。老人はこれぞ菩薩の行いと褒め称えた。しかし、弱い兎は何も手に入れることはできなかった。猿と狐はそんな兎を励まそうとしたが、兎は老人に「木を拾って、火をおこして待っていてください」と言った。そして火がおこると「私には食べ物を持ってくる力がありませんでした。我が身を焼いて食べてください」と、火の中に身を投じた。
すると帝釈天は元の姿にもどり、他人のために我が身を犠牲にした兎の利他の心を哀れんで、一切衆生に見せるために、兎を月の中に写してやった。月の表面に雲がかかっているように見えるのは、兎が自らを焼いた火の煙であり、月の中に住む兎はこの兎自身なのだ。
すべての人が月を見るときは、皆この兎のことを思い出してほしい。

 人のためによい行いをするのは簡単なようでも実践することは難しいと思います。まして命を懸けるなど決して容易なことではありません。
寒いながらも、山内の紅梅が少しずつ花を咲かせてきました。寒い冬から春に向かっていくことを考えると、少し温かい気持ちになれます。
寒い日が続くと、星空がいつもよりきれいに見えます。もし、きれいな月を見ることができたなら「明日は誰かのために1つでもよい行いをしよう」と思いたいものです。そして、実践したいと思います。これが私の「卯年」の目標です。

合掌

(2011.01)
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