康秀街道〜こうしゅうかいどう〜  駒井僧侶による執筆です。月々移り行くお寺のお話をお楽しみ下さい。

幸せは何気ないところにある!

 もうじき12月も終わろうとしています。 12月が終わりを告げるということは、2013年も終わり、長かったような1年が終わりを告げるということです。 今年1年間を振り返ってみていかがだったでしょうか?
 私にとってこの1年は、特に大きなケガや事故などもなく過ごすことができました。 言い方を変えれば、何の変哲もない1年だったということです。 しかし、考え方を変えてみれば、無事に1年を過ごすことができたということは、取り立てて大きなことでなくても、実は幸せなことなのかもしれません。
 12月は各仏さまの縁日にて「納め」という言葉が用いられます。 錫杖寺のご本尊さまである地蔵菩薩は24日がご縁日ですので、24日が「納めの地蔵」となります。 この「納め」のご縁日では、仏さまに1年の無事を感謝し、お参りを行います。
 錫杖寺では、この「納めの地蔵」の日にお護摩修行を行っています。 何か特別なお願い事をする訳ではなく、1年間の感謝を込めて「御礼」としてお護摩を行います。 また、この「御礼」の護摩修行に続いて、元旦より授与をするお守りやおみくじなどすべてを加持します。 加持というのは、お護摩修行で言えば、ご本尊さまの炎に直接お守りやおみくじを当て、ご本尊さまのお力をいただくものと考えてください。 つまり、この護摩においてお守りを加持することにより、初めて錫杖寺のご本尊さまのお力をいただき、お守りとして力を発揮できるようになるのです。
 何年か前のことですが、実際にあったお地蔵さまのお守りの功徳を紹介したいとお思います。
 高速道路を通行していた信者さまの車の話です。 突然トラブルに見舞われ、走行中にボンネットから白い煙が出てきて、間もなく炎上をしてしまいました。 これに危険を感じた運転手と同乗者は、車を路肩の安全なところに停車をして、車外に避難したので無事でした。 そして、燃え残った車内からは、なんと交通安全の木札が無事に発見されたのです。
 これは、ご本人から聞いたお話です。 もちろん、お地蔵さまのお力もあるかもしれませんが、大切なのは交通安全を常に心がけ、日頃より模範となる運転をされていた本人のお力だと思います。 善行(=よい行い)を仏さまはしっかりと見ているのです。
 ちなみに、善行といえば私は小学生の子どもたちからも善行をいただきました。 川口には、宗派を超えた寺院で構成される「川口仏教会」という組織があります。 現在は、錫杖寺の住職が会長を務めているこの会ですが、毎年12月15日に川口駅と川口郵便局前にて托鉢を行っています。

 

 

 私は毎年川口郵便局前にて托鉢を行っていますが、毎年その日は近くの神社で酉の市が行われているため、大変多くの方が私の前を通っていきます。 快く浄財を納めていただける方・申し訳なさそうに前を通り過ぎる方・目を合わせずに先を急ぐ方・不思議そうな顔で見てくる方などさまざまです。
 そのような中、小学生の子どもたちや、小学生にも満たない子どもが浄財を納めてくれました。 小学生の子どもたちからすれば、酉の市の小遣いに違いないはずなのに、納めてくれるのです。
 私が小学生の時はこのような善行は行った記憶がありません。 お寺で育っていても、まったく善行ができなかったのです。 大変立派な行いであり、温かい気持ちになりました。 でも、ひょっとしたら、この子どもは観音菩薩で、私に自分の心を見つめなおすためのきっかけを与えてくれたのかもしれません。 観音菩薩は子どもにもなります。
 この康秀街道も今年は終わりです。 1ヶ月に1回という何気ないお話ですが、読んでいただきましてありがとうございました。 来年も少しでもお寺の様子や仏教のことをお伝えできるように精進してまいります。応援よろしくお願いします。
 1年間ありがとうございました。 どうぞよいお年をお迎えください。

合掌

(2013.12)
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お地蔵さんはどこだ?

 もう12月に近づきました。 まもなく錫杖寺は新年を迎える準備を少しずつ始めます。 なかなか色が紅くならなかった黄櫨の葉もようやく紅くなり、一瞬のうちに散ってしまいました。短い秋が終わり、もうじき冬です。
 11月の錫杖寺は、毎年かわいい子どもたちが七五三のお祝いにお参りにきてくれます。 もちろん七五三は、お参りにきてくれる子どもたちの一生に一度の行事なので、お寺としても大切な行事としています。 ご本尊の地蔵菩薩の前に、記念の絵馬・お守り・千歳飴を奉納し、健やかな成長祈願を行ったに授与いたします。 2年前にこの『康秀街道』にて触れたことがありますが、1度でもお参りをしたことのある仏さまは、間違いなくご縁が結ばれています。 七五三のお参りをいただいた子どもたちが、また大人になってもお参りをしてくれれば、きっと地蔵菩薩は嬉しい気持ちになるでしょう。 お地蔵さまはいつでも一緒にいます。

 

 先月は観音菩薩についてお話をさせていただきましたので、今月は錫杖寺のご本尊さまでもある地蔵菩薩について、少しですが、詳しくお話をしてみたいと思います。
 例えば、大学教授に得意分野があるように仏さまにも得意分野があります。 錫杖寺のご本尊さまである地蔵菩薩は、何が得意分野かといえば、それは「現世利益」を与えることといえるでしょう。 これを、少し専門的な言葉になりますが、功徳として考えたいと思います。 つまり、地蔵菩薩を信仰することにより得られるものです。 ちなみに「現世利益」とは、字の通り「現世において利益を得る」ということです。
 では、なぜ「現世利益」なのでしょうか? それは、仏教の一般的な考え方が少し作用してきます。 現代では、寺社にお参りをするときに、お願いごとをすることは一般的かもしれません。 特に、今現在の自分のことや家族のことが多いでしょう。 しかし、昔は仏さまに祈るということは、今とは違うお願いごとが多かったのです。
 本来、祈ることは来世の自分のためが中心でした。 これは「三世」(=前世・現世・来世)が関係してきます。 例えば、都合のよくないことが続くと、「日頃の行いが悪いから」と考える人もいるでしょう。 しかし、中には「前世の行いが悪かったから現世においてその報いを受けている」と考える方もいると思います。 つまり「前世の行いがために、現世においてよくないことがある」ということは、自然と「現世においてよい行いをすれば、来世においてよい結果を得ることができる」と考えることができます。
 しかし、今苦しい状況にある自分を救ってくれる仏さまがいるならば、来世でなく今すぐにでも救いを求めるのは当然です。 つまり、仏さまに祈った功徳を現世においてもいただきたい。 このような思いから「現世利益」なのです。

 

 地蔵菩薩を信仰することによって「現世利益」を得ることができるということは、経典にしっかりと説かれています。 地蔵菩薩について説かれた経典の1つ『大乗大集地蔵十輪経』の「序品第一」には次のように説かれています。
善男子、たとい人あって、その弥勒及び妙吉祥並に観自在や普賢の類にして、しかも上首たる、恒伽沙等のもろもろの大菩薩摩訶薩のところにおいて、百劫の中において、至心に帰依し、称名し念誦し、礼拝し供養して、もろもろの祈願を求めんよりは、人あって一食の頃にもあれ、地蔵菩薩を至心に帰依して、称名し、念誦し、礼拝し、供養して、もろもろの祈願を求め、速やかに満足なることを得んには若かじ。所以はいかん。地蔵菩薩は、一切の有情を利益し、安楽ならしめて、もろもろの有情をして、祈願を満足せしむること、如意宝の如く、また伏蔵の如し。かくの如き大士、もろもろの有情を成熟せんと欲するが故の為に、久しく堅固の大願、大悲勇猛の精進を修すること、もろもろの菩薩に過ぎたり。この故に、汝等まさに供養すべし。
 経典の書き下し文なので大変難しいですが、経典の中には「現世利益」という言葉は出てきません。 しかし、これらの内容から地蔵菩薩が他の菩薩より優れている部分を読み取ることができます。 それは、時間です。 長い時間をかけて他の菩薩に帰依するより、ほんの短い時間でも地蔵菩薩に帰依すれば、速やかに功徳を得ることができる。 ここより功徳がすぐにあらわれる。 つまり、現世において功徳を得ることができると考えられるのです。
 七五三や初参りで地蔵菩薩をお参りするということは、健やかなる成長を祈ることで、その功徳を授かることができる大変意味のあるお参りなのです。
 今年もまだあと1ヶ月ありますが、今年の私は、大きな病気や事故もなく無事に過ごすことができそうです。 これもきっと地蔵菩薩のおかげです。

合掌

(2013.11)
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観音さまはどこにいる?

 10月も終わりに近づきました。 10月の始めは、衣替えを迎えたことが信じられないくらい暑い日が続いていましたが、11月を前にして、ようやく冬の衣が恋しくなってきました。 そろそろ、こたつも恋しくなる季節です。 意外に知られていないのですが、錫杖寺には柿の木があります。 ちょうどこの原稿を書いているときに、美味しく熟してきました。 今年は例年より実が多いので、ひそかな楽しみができそうです。
 今月は、錫杖寺の「写仏会」がありましたのでまずご紹介させていただきます。 この「写仏会」ですが、年に1回の錫杖寺の行事です。 写仏は写経に比べると、細かい線も多く、仏さまを描くのには大変な労力を必要とします。 その為か、残念ながら写経ほどの参加者はいらっしゃいませんでした。 しかし、新たに参加していただいた方も含め、毎回多くの方にご参加をいただきありがたく思います。

 

 

 今回は観音菩薩の写経をしていただきました。 観音菩薩というと、地蔵菩薩のように身近な仏さまとして親しみを持たれる方も多くいらっしゃると思います。 確かに、日本の古い説話集などでも観音菩薩が登場する話が多く存在します。
 観音菩薩というと三十三という数字を思い浮かべる人が多くいらっしゃると思います。 この三十三という数字は『妙法蓮華経』(=『法華経』)の第二十五品の「観世音菩薩普門品」に説かれています。 ちなみに三十三という数字は、この経典の中で説かれている観音菩薩の姿なのです。私たち衆生を救済するために、佛身(=仏さま)だけでなく童男・童女身(=小さな男女の子ども)などにも姿が変わります。 この姿が合計で三十三あるということなのです。
 ひょっとしたら、電車で隣に座っている人や、喫茶店でコーヒーを飲んでいるお客さんも観音菩薩かもしれません。 どうしても、仏さまは遠いところにいるイメージがあると思いますが、この『妙法蓮華経』(=『法華経』)ではそう説かれておりません。 今回この写仏会に参加をしていただいた方の中にも観音菩薩がいるかもしれません。
 また、今月は、錫杖寺の前住職である俊則大僧正の13回忌でした。 お導師さまには、真言宗智山派の別格本山である大須観音寶生院のご貫主さまをお迎えし、盛大に13回忌の法要を営むことができました。 13回忌ということは、ご遷化されてから12年がたったということになります。 前住職の昔話が多々出る中で、ご参列をいただいた方の中からは「もう13回忌ですか・・・」と月日の長さを早く感じる発言をされているかたもいらっしゃいました。

 

 

 実は、錫杖寺の前住職と私の祖父がお互い生前は懇意にさせていただいておりました。 今から約40年前に本堂の落慶式があった時の集合写真にも祖父が映っていました。 その祖父の姿が、メガネをかけた今の私にそっくりで驚いた記憶があります。 そんな私が現在は錫杖寺でお世話になっている訳ですが、これは不思議なご縁としか言いようがありません。
 人間の記憶というものはよくできています。 嫌なことを忘れることができる反面、よいことも忘れてしまいます。 でも、このようにご法事の時に多くの親族で集まったら、忘れてしまった故人さまのことを思い出すことができるでしょう。 また、知らなかった新たな一面を発見できるかもしれません。
 供養というのは手を合わせて祈るだけではありません。 その人が生きた証を忘れずに覚えておくこと。そして、後世に伝えることも大切な供養だと思います。
 ご法事という時間が素晴らしい時間になるように、私もしっかりと僧侶としてできることを精進したいと思います。

合掌

(2013.10)
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切手と題目のないおくりもの

 まず始めに、この9月で『康秀街道〜こうしゅうかいどう〜』も4年間の掲載を無事に修め、5年目を迎えることができました。 当初は、少しでもお寺の様子を発信したいという気持ちで始めたこのページです。 これからも、少しでもお寺の様子や仏教のことを分かりやすく発信していきたいと思います。 応援よろしくお願いします。
 9月も終わりを迎え、涼しさをというより寒さを時折感じる季節となりました。 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉の通り、少しずつ涼しくなり、冬への衣替えが進んでいるようです。 9月上旬から中旬は、境内にもセミがまだ残っていて、元気に鳴いていましたが、彼岸を迎えたころから全く聞かなくなりました。 今考えると、例年よりセミが少なかった気がします。
 ここ錫杖寺には、アブラゼミやミンミンゼミが多くいます。 時折、近所の子供たちが虫網と虫かごを持って遊びに来ます。 このような様子を見ていると、昔の自分を見ているようで、なんだか懐かしい気持ちになります。
 さて、前置きが長くなってしましましたが、今月は「秋彼岸会法要」を行いましたのでご紹介したいと思います。 この「秋彼岸会法要」ですが、今年よりお檀家さまのお声をいただいて初めて行いました。
 初めてでしたので、準備など少し時間がかかってしましましたが、関係各位のご協力をいただいて無事に納めることができました。 お塔婆も初めての「秋彼岸会法要」にも関わらず、多くの方にお建ていただきご供養いただきました。 また、恒例の「錫門茶屋」を繁盛していたようです。

 さて、この塔婆ですが、建てて供養することには大変多くの功徳があるとされています。 でも、あまり難しい言葉で説明されても分かりづらいと思います。 私の祖母が実際にそうでした。 今回は、分かりやすい例えを用いてお話をしたいと思います。
 塔婆は、手紙と同じです。 塔婆の表面には宛名として、亡くなった方のお戒名(=仏としての名前)を書き、裏面には差出人として、供養する人の名前を書きます。 普段手紙を書くときは、もちろん心を込めて書くと思いますが、同じように塔婆を書く僧侶は心を込めて書いています。 では、内容はどこにあるのでしょうか? それは、お参りをしているときのあなたの心の中にあります。 手紙と同じで内容は本人たちだけの秘密です。
 祖母は塔婆のことがよくわからなかったとき、僧侶であった私の祖父に聞いたそうです。 そして、その内容を私に聞かせてくれました。 これが上記の言葉です。 近年では、電子メールやテレビ電話などの普及により、手紙を出す機会はそう多くないかもしれません。 また、パソコンを使えば、長い文章も短時間で作成することができます。 手紙は、電子メールと違い、届くまでに時間がかかります。 テレビ電話と違い、リアルタイムでお話ができるわけではありません。 少々不便なところや大変なところもあるかもしれません。 しかし、その大変なところが手紙にしかないよさでもあると思います。
 これと同様に、苦労をするから仏さまに伝わることもあると思います。 もし、お塔婆を建てて仏さまを供養していても、なかなか仏さまと出会えない。 よい行いをしても仏さまに出会えない。 努力をしても報われない気持ちになることもあると思います。 しかし、それは手紙と同じように届くまでに時間がかかっているからです。 しかし、仏さまは必ずいます。 供養の心を絶やすことなく善行に励みましょう。
 話は変わりますが、彼岸にちなんだものとして、次のようなことわざがあります。 「彼岸過ぎての麦の肥三十過ぎての男の意見」  ということわざです。 これは「彼岸を過ぎてから麦に肥料をあげても効果はない。 これと同様に、30歳を過ぎた男に意見しても考え方が固まっているので、何の効果もない」という意味です。 つまり、意味のないことを指します。 また、同じようなことわざとして「坊主の花かんざし」というものもあります。昔の人はよく考えたものです。
 私も30歳を過ぎています。 しかし、他の人の意見もしっかりと聞けるような柔軟な人間になれるように、注意していきたいと思います。

合掌

(2013.09)
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アクション〜錫門キッズ〜

 8月も終わりに近づいてきました。 今月の暑さは非常に身体にこたえる暑さでした。 ただ、終わりに近づくにつれ、少しずつ朝は秋の気配を感じることができるようになってきました。 しかし、日中の暑さを思うと、まだ秋はどこか遠いところにいるようです。
 今月は、錫杖寺の年中行事となりました「錫杖寺寺子屋−錫門キッズ」を開催いたしましたのでご紹介したいと思います。 子どもたちの感想文や保護者の方からのご意見などは「錫杖寺手記」に掲載しておりますので、私はその内容について少し詳しくご紹介したいと思います。
 今回の開催で3回目となりました。 今回は60名の募集に対して、 60名以上の方からお申込みをいただきました。 募集は先着順とさせていただいておりましたので、残念ながらお断りせざるを得ない子どもたちがいました。 60名の子どもたちの参加をいただけたことは大変幸せなことでしたが、その分責任も重く、無事に終わるまでの2日間は常に緊張との戦いでした。
 まず、募集の前に頭を悩ませたのが内容です。 3回目ということもあり、毎年参加をしてくれている子どもたちのことも考えれば、全てが同じ内容という訳にはいきません。 しかし、初めて参加してくれた子どもたちが楽しめない内容では意味がありません。 何度も話し合いを重ね、今回は新たな体験として、粘土による仏像づくりを子どもたちに体験してもらいました。
 粘土による仏像づくりは、我々も経験がなかったので、一度試しに練習してみました。 造形用の粘土ということで、最初は紙粘土しか頭に浮かばず、実際に仏像を作ってみましたが、うまくできませんでした。 そこで、石粉粘土という紙粘土よりも比較的加工しやすく、手の汚れにくい粘土を使うことにしました。
 ちなみに仏像は、お地蔵さま(=地蔵菩薩)を作ってもらいました。 ボランティアを快く引き受けて下さった専門の先生方にご指導をいただきながら行いました。 同じ見本を見て作っているはずが、誰ひとりとして同じ形はなく、個性あふれるお地蔵さまが60体できました。 中には凝ったつくりの仏像もあり、子どもたちの想像力には驚きました。
 子どもたちの感想文を見ていますと、楽しかったこととして、この仏像づくりや花火、きもだめしがありました。 しかし、辛いこともあったようです。 特に、正座などの姿勢で、長時間座っていることがつらかったようです。 今回は、瞑想を子どもたちに体験してもらいました。 私も経験がありますが、目を閉じ同じ姿勢を続けていると、普段よりも時間の流れを長く感じることがあります。 しかも、この瞑想を行ったのは、朝食をいただき、作務を行った後なのです。起床が5時ということもあり、眠たい時間だったと思います。 中には体の揺れている子もいましたが、みんな頑張っていました。

 毎回この寺子屋を終えて思うことですが、子どもたちが短い時間でも成長するということです。 今回は、残念ながら、過去2回のように自発的にお経を唱えてくれることはありませんでした。 しかし、保護者の方の感想文に下記のものがありました。
 「 自宅に帰ってきてすぐに、仏壇にお経をあげてました。 先祖の尊さを肌で感じたようです。」
 特別、自宅で仏壇をお参りするように指示をしたことはありませんので、この寺子屋で、仏さまや自分と向き合えた結果だと思います。 きっと、同じような行動をしてくれた子がほかにもいると思います。 この寺子屋を通して、少しでも学んだことを日々の生活に活かしてくれれば、お地蔵さまも喜ぶと思います。

合掌

(2013.08)
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「行」とは「修行」の「行」である

 7月も終わろうとしています。 今月は、お盆前の梅雨明けとともに急激に気温が上がり、暑い日が続きました。 ここ埼玉県には日本で最も暑い熊谷市がありますので、総じて埼玉県は気温が高い傾向があると思います。 お盆のお墓参りにいらした方を見ていますと、首からタオルをかけ、汗だくになりながらお墓の掃除をされている方がほとんどでした。
 今月は、錫杖寺の年中行事の1つである「大施餓鬼会法要」が行われましたのでご紹介したいと思います。 当日はあいにくの天気でしたが、例年ほどの暑さはなく、雨でも大変多くの方にご参加いただきました。
 今年は、私は写真を撮る時間をいただくことができましたので、普段は聞くことのできなかったご詠歌の奉詠からやご法話もゆっくりと聞くことができました。 普段勉強不足の私には、ご詠歌もご法話も勉強になることが多くありました。いつまでたっても精進が足りません。まだまだ修行不足です。

 法要は、諸大徳各位のお力添えをいただき、20名を超える僧侶でご供養いたしました。 これだけ多くの僧侶とお参りをいただきました檀信徒のみなさまで、心をひとつにお唱えいたしました『般若心経』は、大変なご供養であったと思います。 間違いなくご先祖さまだけでなく、供養を必要としている餓鬼にも届いたことでしょう。
 以前この「康秀街道」にて紹介させていただいたご詠歌がありますが、覚えていらっしゃるでしょうか? 密厳流遍照講の「万霊供養盂蘭盆和讃」という曲で、お盆にちなんだ歌詞が書かれています。 今回は「大施餓鬼会法要」にて毎回お唱えしております「施餓鬼供養和讃」について少し触れてみたいと思います。

  帰命頂礼釈迦如来 阿難尊者の御慈悲に こたえて説かる施餓鬼法
  この世はみたまかずかずの いまだに迷う業の世や
  救いの道はただひとつ 心施物施の布施の行
  南無や大悲観世音 十方諸仏十方法十方僧に供養せん
  神咒お加持の功徳力 この土を清くやすらかに
  慳む心を捨てさりて 発菩提心この世界 全てのねがい叶うなり
  南無や五如来その利益 むさぼるこころ除かれて
  福徳智慧を円満し 心身共に晴れやかに 受ける施食も恐れなし
  有縁無縁のへだてなく その悦びのしあわせは 行う人の身にやどり
  わざわいの雲打ち払い 世々の長寿受くるらん

 なかなか難しい言葉が多くでてきます。 これは、我々僧侶がお唱えをしている『施餓鬼法楽次第』の中に説かれているものだからです。 言い換えれば、お経の内容を分かりやすくご詠歌にしたものなのです。
 「心施物施の布施の行」という言葉に注目してみたいと思います。 例えば、物施をしても、それに心がこもってなければ布施行は成立しないといってもよいでしょう。 逆に心施をしても、実際に形として存在するものを残せなかったらやはり布施行は成立しないといってもよいでしょう。
 分かりやすく言えば、困っている人がいたとして「助けなければ…」という気持ちだけで、実際に行動しなければ意味がなく、「仕方ないから助けてやろう」という気持ちでは、いくら助ける行為ができたからと言っても、それは意味がないものになるでしょう。 助けたいという気持ちと行動があって、はじめて意味のあるものとなるのです。
 これを供養の気持ちに当てはめてみると、心から「供養したい」という気持ちを持って「南無大師遍照金剛」とお唱えし、合掌する。 つまり、以前お話したことがありますが、三密加持を行うことになります。
 ただし、布施行の「行」は修行の「行」でもありますので、簡単なことではありません。 しかし、簡単でないからこそやりがいや達成感があります。 毎日少しでも善い行いをし、仏さまを心から供養する布施行を実践してみてはいかがでしょうか?

合掌

(2013.07)
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歴史を語るのは難しい

 6月になり、少しずつじめじめとした暑さを感じるようになりました。 この梅雨が明けると、いよいよ夏本番となります。 昨年は暑い夏でしたが、今年ははたしてどのような夏になるのでしょうか?
 錫杖寺の寺務所本坊の前にあります桔梗がきれいに咲き始めました。 この時期になると、錫杖寺の木々の緑を引き立てるようにおとなしく咲いています。 また、毎年白い花を咲かせ、お参りの方をお迎えしている蓮ですが、少しずつ花の目が育ってきました。 7月のお盆の頃に見ごろを迎えそうで楽しみです。

桔梗

蓮のつぼみ

 今月は、団参ということで総本山をはじめとして京都の寺院などをお参りしてきましたので、紹介したいと思います。 団参というのは、字の通りで「団体参拝」という意味です。 お檀家さまや関係者の方々と、総本山などに参拝をすることを指します。 ただ、この団参ですが、錫杖寺ではなく、私が副住職として奉職しております寺院のものになります。 錫杖寺でも3年前に行っておりますので、ご参加された記憶が新しい方もいらっしゃると思います。

総本山智積院

六波羅密寺

平安神宮

仁和寺

渡月橋

西本願寺

清水寺

 当然のことですが、総本山の朝のご回向やお勤めにも参加をさせていただきました。 毎回思うことですが、智積院での朝のお勤めは非常に心が清らかになります。 若い修行僧たちが大きな声で一心不乱に読経している姿や、その声の大きさに圧倒されます。 今回の団参に参加をしたお檀家さまは、全員この朝のお勤めが一番よかったと言っていました。
 基本的に私が京都に行くときは、総本山での修行などが中心で、あまり観光をすることができません。 今回は、修行ではありませんでしたので、ゆっくりと各寺院をお参りさせていただきました。 京都へゆっくりと旅行したのは、修学旅行として中学生の頃と高校生の頃に行ったきりです。 不思議なことに中学生や高校生の頃は何とも思わなかった小さなことにも感動することができました。 例えば、この時期は新緑が大変見事でした。 昔なら、何とも思わなかった「緑」という色の差異にも感動することができました。 また、目で見える景色以外にも感動することがありました。 それは香りです。 さまざまなお寺をお参りさせていただいたときに思ったのですが、お香などの香りが素晴らしく、非常に落ち着いた気分でお参りすることができました。 香りひとつにしても、それぞれのお寺の長い歴史の中で、少しずつ沁み込んでいったことを思うと、歴史というのは目に見えるものや、形に残るものだけでないと改めて思うことができました。
 今回の団参で思いましたが、やはり日本には知らないだけでよい場所があると思いました。 例えば、今回初めてお参りさせていただいたお寺になりますが、同じ真言宗智山派の寺院で「大報恩寺」といい「千本釈迦堂」という呼び名で親しまれている寺院です。 応仁の乱の戦火を逃れた鎌倉期創建の国宝指定の本堂からは何とも言えない歴史を感じることができました。

千本釈迦堂

 歴史や伝統を守るのは大変なことです。 しかし、それは個人だけでなく、地域や国の宝でもあります。 錫杖寺も長く続いている歴史や伝統をしっかりと守り、お檀家さまや地域の方に貢献できるように精進していきたいと思います。 これからお盆を迎えますが、このお盆の供養も大切な伝統行事です。 これから日本の歴史や伝統を継承していく子どもたちに、ぜひこのお盆のことを教えてあげてください。 家族みなさまでのお参りお待ちしています。

合掌

(2013.06)
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仏教での時間の長さはありえない!

 5月も駆け足のように過ぎてしまいました。 今月は、気温が急に上がり、いよいよ夏の準備を始めたようです。 錫杖寺にある蓮も知らないうちに葉が出始め、花を咲かせようと夏の準備を始めています。
 今月は、錫杖寺の「写経会」がありましたのでご紹介したいと思います。 錫杖寺の写経会は1年に1回と回数は決して多くはありませんが、来ていただいた方々に少しでも仏教のことや写経のことを理解して、身近に感じていただこうと努力しています。

 

 

 当日は、あいにくの天気でしたが、初めての方も含めて多くの方にご出席いただきました。 昨年は、震災復興を願う写経として、総本山での法要に納めるために行いました。 今年は例年どおり自行(自分の修行)として『般若心経』を写経していただきました。 毎回写経をしております『般若心経』ですが、内容は過去にも触れたことがありますので、今回は違うお経に触れてみたいと思います。
 錫杖寺の「写経会」ではただ写経を行っているわけではありません。  実際に『般若心経』を写経する前には、参加者全員で『智山勤行式』をお唱えして、心を清らかにするために禅定を行います。 この『智山勤行式』にも含まれておりますのでお唱えいたしますが、今回は『開経偈』(かいきょうのげ)について考えてみたいと思います。
 まずこの『開経偈』ですが、これは真言宗智山派だけでなく、他の宗派でもお唱えをしているものです。 この「偈」という漢字は、漢和辞典によりますと「歌謡。韻文。法を述べ、仏力をたたえるもの」と書かれています。 つまり『開経偈』とは「経典を開く前に仏の功徳を讃える歌」ということになります。 ちなみに、「経を開く」という言葉が使われていますが、これは現在の経典と違い、古来は巻物になっていたことに由来します。 そのため、経典は1巻2巻というように「巻」という単位を用いて数えます。
 内容は7文字4行からなるもので、起承転結でまとめられています。1行ずつ解説してみたいと思います。
 < 白文 > 無上甚深微妙法 (むじょうじんじんみみょうほう)
 <書下し文> 無上甚深微妙の法は (むじょうじんじんみみょうのほうは)
 < 意味 > この上なく、非常に深く、言葉では言い尽くすことのできない仏の教えというものは

 < 白文 > 百千萬劫難遭遇 (ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
 <書下し文> 百千萬劫にも遭い遇うこと難し (ひゃくせんまんごうにもあいおうことがたし)
 < 意味 > どれだけ長い時間をかけても出会うことは難しい

 < 白文 > 我今見聞得受持 (がこんけんもんとくじゅじ)
 <書下し文> 我今見聞し受持することを得たり (われいまけんもんしじゅじすることをえたり)
 < 意味 > しかし、私は今その教えを聞き授かることができました

 < 白文 > 願解如来真實義 (がんげにょらいしんじつぎ)
 <書下し文> 願わくは如来の真實義を解せんことを (ねがわくはにょらいのしんじつぎをげせんことを)
 < 意味 > どうか仏の真実の教えを理解できますように
 意味は、私が分かりやすいように誇張して訳していますので、解説書などではこのとおりでないと思います。 内容をよく読んでいただけると、先に述べました「仏の功徳を讃える」という「偈」の意味が理解できると思います。
 ここで、1つ注目してみたい言葉があります。 それは「劫」という言葉です。 ここでは「百千萬」という言葉に続いてでてきますが、これは仏教では時間を表す単位の1つなのです。 例えとしては「芥子劫」と「盤石劫」の2つがあります。
 「芥子劫」とは、1辺が1由旬(ゆじゅん)の立方体の中を芥子の種でみたし、百年に一度一粒ずつ除き、芥子の種がすべてなくなっても終わらないくらい長い時間のことを言います。
 また「盤石劫」とは、1辺が1由旬(ゆじゅん)の石を百年に一度天女が空から降りてきて羽衣でその石をなで、石がその摩擦で消滅しても終わらないくらい長い時間のことを言います。 ちなみに「1由旬」は大体7,000mくらいです。想像できないくらいの長い時間です。
 『般若心経』というと一般的で馴染みのある経典ですが、数ある仏教経典の1つです。 これら仏の教えに出会えるというのは大変ありがたいことなのです。 経典だけでなく、釈尊やお大師さまの教えを頂戴できることも大変ありがたいことなのです。 そう思うと、簡単に思える「合掌」でも決して手を抜くことはできません。
 これから梅雨の時期になりますと、雨も多く何かをするのにも面倒になることがあると思います。 例えば、日々のお勤めやお参りも面倒になってしまうかもしれません。 しかし、決して 「何をするのにも面倒な気持ち」=「億劫」(おっくう) にならないでください。 よくよく考えますと「億劫」なんて考えられないくらいの時間の単位です。 どのような時でも、怠惰な気持ちを起こさず、1分1秒を大切にして生きましょう。

合掌

(2013.05)
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甘い味は幸せの味

 4月も終わりに近づきました。 大型連休を迎え、どこかへお出かけの方も多くいらっしゃると思います。 私の地元では、少しずつ田んぼに水が入り始め、田植えの姿を見ることができるようになってきました。 春が過ぎて少しずつ夏の訪れを感じることができるようになりました。 ただ、この4月は天候が非常に不安定な日が多く、東北では雪が降った日もあり、桜の花たちもびっくりです。

 

 今月は、毎年行われている行事「茶筅供養」と「釈迦誕生花まつり」が無事に終わりましたので紹介したいと思います。
 残念ながら今年の「茶筅供養」は天候に恵まれず、参道にあります茶筅塚の前でご供養することができませんでした。 その為、錫杖寺の本堂において供養することになりました。 今回で31回目を迎えたこの「茶筅供養」ですが、長い歴史の中で強風の日は過去何回もあったようですが、雨の日はなく珍しいとのことでした。 毎年いらっしゃっている来賓の方のお話では、過去に一度だけあったそうです。 先にも述べましたが、この4月は非常に天候が不安定だったため、雨も仕方ないかもしれません。 ただ「茶筅供養」の後は、お茶席もありますので、いらっしゃった方々は、着物をお召しになる分いつもより大変だったと思います。
 一般的に雨というと負のイメージを持たれる方もいらっしゃると思います。 ただ、この雨ですが必ずしも悪いことばかりではないと思います。 「干天の慈雨」という言葉があります。 これは「日照りが続いているときに降る、ほどよくものを潤し育てる雨」という意味ですが、転じて「困っているときにさしのべられる救いの手」という意味でも使われます。 つまり、雨が救いの手となることもあるのです。雨が必ずしも悪いとは言えなくなりましたね。
 本堂での「茶筅供養」は私も初めてだったので、準備に戸惑うこともありましたが、無事に納めることができました。 雨にも関わらず多くの方に本堂にお上がりいただき、茶筅を納めていただきました。 また、使い終わった茶筅に感謝の意を表し、心を込めてお手合わせいただきました。 お納めいただいた茶筅は大切にお焚きあげ供養いたします。

 

 「釈迦誕生花まつり」も天気が心配でしたが、予定通り山門の前で法要を行うことができました。 法要は午後1時からですが、小さな釈尊の誕生仏を安置してある花御堂は、約1日飾ったままにしてあります。 法要の時間以外でも、たまたま通りかかった人が足を止め、お参りをしてくれました。
 お年寄りの方には「懐かしい」とおっしゃっている方もいて、何十年かぶりに甘茶を飲んだと言っていました。 この甘茶ですが、確かに味は甘く美味しいものですが、なんと砂糖は使用していないのです。 聞いたところによると、昔は砂糖が大変貴重なものだったので、一般の人ではなかなか手に入らず、甘い味を得ることができなかったそうです。 そんな時、1年に1度この「花まつり」にお参りをすると甘い味のするお茶を飲むことがでた。 それが、とても嬉しかったとのことでした。 また来年のお参りをお待ちしております。

 

 

 最近は少なくなりましたが、5月の節句に向けて鯉のぼりを見かけることができるようになりました。 「鯉の滝登り」という言葉がありますが、4月は新年度ということもあり、「一歩前進」するには良い季節だと思います。 釈尊のように、突然七歩も前進することは大変難しいと思います。 しかし、ほんの一歩くらいなら必ず前進できると思います。 今は分からなくても、実は「小さな一歩」が「偉大な飛躍」だったと後々分かるかもしれません。 そのためにお互い「日々精進」です。

合掌

(2013.04)
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村のはずれのお地蔵さんは・・・♪

 3月も終わりに近づいてきました。 今年は桜の開花が早く、彼岸を待たずに枝垂桜が開花しました。 お参りにいらした方のお話では、今から10年ほど前にも早く桜が咲いた年があったそうです。 ただ、桜の開花で暖かい日が続くと思っていたら、一転して寒い日になることもありました。 今年の冬は非常に寒かったので、春の暖かい日は待ち遠しいのですが、昨年の夏のような暑さを思うとなんだか複雑な気分です。
 まず、3月には忘れてはならない大切な日があります。 錫杖寺でも、3月11日の午後2時46分に「鐘楼堂」(=鐘つき堂)にて犠牲者の追悼のために、心を込めて鐘を3回撞きました。 私は、昨年からこの鐘を「希望の鐘」として打鐘しています。
 しかし、恥ずかしながら私は、2年が過ぎた今でも、未だ被災地を訪れたこともなく、ボランティア活動に参加したこともありません。 メディアを通して被災地の現状を知るのみです。 震災後は1分1秒と同じ時間を平等に過ごしているはずが、2年経ってもまだ苦労の絶えない生活をされている方のことを思うと何とも言えない気持ちになります。 また、まだ小さな子どもたちが大切な人を亡くしてしまうという悲しい経験しているかと思うとなんとも言葉では表現できない気持ちになります。 この日は、全国の寺院でも鐘を鳴らし平和と希望を祈ったことでしょう。 そして、この鐘を鳴らすたびに、あの日のことを忘れず、私も微力ながらも自分にできることをしていきたいと思います。

 

 

 今月は、錫杖寺「永代供養堂」の落成を行いましたので紹介したいと思います。 この「永代供養堂」ですが、以前は身寄りのない仏さまの供養をする「供養塔」として同じ場所にありました。 ただ、あの震災によって塔は崩壊してしまい、しばらくそのままになっていました。 しかし、大切な仏さまをそのまま壊れた「供養塔」に安置しておくわけにはいきません。 そこで、同じような「供養塔」ではなく、お骨を納めることが可能な「供養堂」として新たに建立いたしました。
 当日は、住職を中心に錫杖寺の僧侶にてご本尊さまを堂内に安置をして、法要を行いました。 このお堂の中には多くの仏さまがいます。 錫杖寺にお参りにいらしたときは、自分のお墓だけでなく、この「永代供養堂」もお参りして、功徳を積んでください。

 

 

 また、3月は年中行事の1つである「春彼岸会法要」を行いました。 当日は天気に恵まれ暖かい1日となりました。 今年も住職を中心に、ご詠歌の講員の方々や総代・世話人各位、関係各位のお力添えをいただきまして無事に終了することができました。 昨年までは10時から法要を行っておりましたが、今年より1時間遅い11時からの法要といたしました。 本堂では昨年より多くの方にお参りをいただきまして、共に「般若心経」や「彼岸会和讃」のお唱えをいただき、供養することができました。 外では「錫門茶屋」に行列ができ、お参りにいらした方に焼きそばやポップコーンだけでなく「笑顔」も提供していました。
 ちなみに「笑顔」というと地蔵菩薩がよく似合います。 これは戦後に昭和20年に発表された童謡の『見てござる』(作詞山上武夫・作曲海沼実)という歌の歌詞にもなっています。

 村のはずれの お地蔵さんは いつも にこにこ 見てござる なかよしこよしの ジャンケンポン ホイ
 石けり なわとび かくれんぼ 元気に遊べと 見てござる ソレ 見てござる
 たんぼ田中の かかしどんは いつも いばって 見てござる ちゅんちゅん ばたばた 雀ども ホイ
 お米をあらしに きはせぬか お肩をいからし 見てござる ソレ 見てござる
 山のからすの かん三郎は いつも かあかあ 見てござる おいしいおだんご どこじゃいな ホイ
 お山の上から キョロキョロと あの里 この里 見てござる ソレ 見てござる


 昨年も少し触れましたが、3月は「東京大空襲」のあった日でもあり、私たちの祖父母までは実際に戦争を経験しているのです。 その終戦の年が、この曲が発表された昭和20年です。 作者の方は、悲しい戦争が終わり、これから子どもたちが、元気で希望を持って育ってほしいという思いや、道端のお地蔵さまのようにそっと見守りたいという思いを込めて作ったのだと思います。
 そして、子どもたちをにこにこ見守りたいという思いは、今の時代でも変わることはありません。 最近では多くの子どもたちがお寺に遊びに来てくれるようになりました。 私も、ご本尊さまである地蔵菩薩に負けないように、そっと子どもたちを見守っていきたいと思います。 また、錫杖寺に来たら「笑顔」になれる。そのようなお寺づくりをしていきたいと思います。
 来月は釈尊の誕生を祝う「花まつり」があります。ぜひ多くの子どもたちがお参りしお祝いしてくれることをお待ちしております。

合掌

(2013.03)
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邪気を払う子どもは無邪気

 2月も終わりに近づき、ようやく暖かい1日を過ごすことができるようになりました。 ただ、暖かくなると花粉が飛び始めますので、花粉症の方にはしばらく頭を悩ませる季節となりそうです。 今年は、昨年の暑さの影響から、例年より多くの花粉が飛ぶと予想されています。 今年の冬の寒さを考えると、暖かくなるのは嬉しいことですが、なんとも複雑な気持ちです。

 

 外では少しずつ梅の花が咲いてきました。 これは福禄寿尊のとなりで、鐘楼堂の手前にある梅の花です。 紅い花が咲いているので紅梅かと思っていましたが、実は「赤い花が咲く」=「紅梅」ではないようです。 先日教えてもらったことなのですが、枝の切り口を見てみないと判断できないらしいのです。 枝の切り口が白色ならば白梅で、枝の切り口が紅色ならば紅梅となるそうです。 また新しい知識が身に付きました。 私はまだまだ未熟ですし、知らないことも多くあります。 お参りにいらした方とのお話の中で、このように為になるお話をいただけたらありがたい限りです。
 今月は錫杖寺の年中行事のひとつ「節分会大護摩供修行」を紹介したいと思います。 今年は3日が日曜日ということもあり、大変多くの方にご参拝をいただきました。 一昨年前より始めた豆まきも、少しずつ子どもたちに人気がでてきたようで、今年も多くの子どもたちが豆まきをしてくれました。 住職の話では、錫杖寺では古来より「福は内・福は内・鬼は外」というかけ声のもと豆まきをしてきたとのお話がありました。 ご参拝いただいた子どもたちにも錫杖寺の古式にのっとり「福は内・福は内・鬼は外」というかけ声とともに、元気に豆まきをしてもらいました。
 また、お堂の中では2台の太鼓が競うように音を鳴らし、読経をかき消さんとばかりに祈願をいたしました。 ご参拝いただいた方々のお願い事がご本尊さまに届きますことをお祈りいたします。

 

 

 話は変わりますが、もうじき「お彼岸」となります。 この「お彼岸」ですが、錫杖寺では「彼岸会法要」を毎年行っています。 私たちは誰に教わることもなく、両親や祖父母から「お彼岸」=「お墓まいり」ということを教えられ、それを実践している方がほとんどだと思います。 では、どうして彼岸はお墓をおまいりするのでしょう?
 そもそも「お彼岸」について考えてみますと、その中日である「春分の日」や「秋分の日」に大きく関係があります。 この2日は厳密に言えば違いますが、昼夜の時間がほとんど一緒になります。 つまり、単純に考えれば真東から太陽がのぼり、真西に太陽が沈むのです。 この太陽が沈む方角には何があるかというと、阿弥陀如来がいる「浄土」の世界があるのです。 これは『阿弥陀経』という経典に説かれています。 では、その「浄土」には誰がいるのかというと、阿弥陀如来や数えきれないほどの仏さまはもちろん、供養により往生を遂げた自分たちのご先祖さまもいるのです。
 現在は、菩提寺に行けばご先祖さまのお墓があり、手を合わせてお参りすることができます。 しかし、このようにお墓に対してお参りができるようになったのは最近のことです。 このようにお墓参りができなかった時代は、西という方角を知ることができるこの2日間に浄土にいるご先祖さまのことを想い、特に念入りに手を合わせていました。 この行為が、現在は「お墓まいり」という形に変わりましたが、お彼岸にお参りするということは変わらず続いているのです。 もちろん、日々仏壇に向かい手を合わせることや、ご命日に菩提寺やお墓をお参りすることは大切なことです。 供養の声は「やまびこ」です。ご先祖さまや仏さまのことを心より想い、口にした真言や読経の声は必ず自分に返ってきます。
 錫杖寺に限ったことではありませんが、お彼岸中に「彼岸会法要」を行う寺院は多くあると思います。 1年で2日しかない大切な日ですので、法要に参加をして、僧侶と共に声に出して読経してください。 春風一緒に西の方から喜びの声が聞こえてくるかもしれません。

合掌

(2013.02)
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「御守」or「如意宝珠」

 今年になり寒い日が続いています。成人の日には関東でも大雪となり、忘れられない成人式を迎えた新成人も多くいらっしゃるのではないでしょうか?
   昨年中はこの「康秀街道」をご覧くださいましてありがとうございました。 今年も錫杖寺のことを中心に、できるかぎり有意義なお話を紹介できるように日々精進いたします。応援よろしくお願いします。
 報告が遅くなりましたが、今年も無事に「錫杖寺万灯会」を行うことができました。 毎回思うことですが、見えなくても偉大な関係各位のお力あってのものです。 年末・年始のご多忙のところ本当にありがたく思います。
 昨年に続いて今年も副住職が「一字書」の揮毫を行いました。 残念ながら私は揮毫を直接見ることはできませんでしたが、大きな歓声と拍手を聞くことができました。 揮毫した文字は「絆」です。 この「絆」という文字を見ると、あの震災を思い出す方が多くいらっしゃると思います。 そう私たちはあの日のことを忘れてはいけないのです。 今年もこの「絆」という字の意味を忘れずに過ごしていきたいと思います。

 今年の正月は、昨年の「日光御成り道まつり」のおかげで、例年より多くの方のご参拝をいただきました。 新年の無事を祈り、地蔵堂の中へ入り、心をひとつに手を合わせ、護摩修行に参加をいただきました。 お堂に入りきれないくらい多くの方とご縁を結ぶことができ、ご本尊の延命地蔵菩薩さまも喜んでいると思います。
 ただ、忘れてはならない大切なことが1つあります。それは「お参りしたから、お護摩札をお願いしたから大丈夫」ということではないということです。 この「お護摩札」はあくまで「御守」であって、なんでも願いをかなえてくれる「如意宝珠」ではないのです。 例えば、1年の健康を祈り「身体健全」というお願いをしても、暴飲暴食などを繰り返し、身体に負担をかけていたら全くその祈りはご本尊さまには届かないでしょう。 また「交通安全」というお願いをしても、無謀な運転を繰り返したら、大きな悲劇になるでしょう。
 この護摩修行に参加するということは、お願いと共に、ご本尊さまに誓いを立てることなのです。 先ほどの例で言えば「身体健全」のお願いをしたら「1年間健康でいられるように精進します。 だからどうか守ってください」と誓いを立て、「交通安全」のお願いをしたら「いつも安全運転に努めます。 だからどうか守ってください」と誓いを立てるのです。 そして、実践するのです。 そうすることにより、ご本尊さまは必ず努力している私たちの姿を見て守ってくれます。 ここまで読んでいただけたなら、なぜ護摩に「修行」という言葉があるかお分かりいただけたと思います。

 さて、新年のごあいさつでも申し上げましたが、今年は巳(=ヘビ)年です。 蛇が地を這うように地道に努力できる有意義な1年になればよいとごあいさつさせていただきました。 また、合わせてヘビは脱皮をする生物です。 脱皮をするということは、過去より未来へ1歩踏み出すということでもあります。
 よく「1年の計は元旦にあり」といわれますが、巳年にかけて何か新しい挑戦をしてみるとうまくいくかもしれません。 趣味を持つことや技術の習得をすることは、必ず自分の財産になると思います。そして、そこで結ばれた様々なご縁がさらなる財産になると思います。
 私もよい1年が過ごせるように今年も精進していきたいと思います。今年も応援よろしくお願いします。

合掌

(2013.01)
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新年のごあいさつ

 まず初めに、謹んで新しい年を迎えることができましたことを心よりお慶び申し上げます。
 新年の無事を祈り、錫杖寺では僧侶が一丸となってご本尊延命地蔵菩薩さまにご祈願をしております。
 1年は365日あり、長いように思えますが、1日を大切に過ごしていかないと、信じられない速さで時間は過ぎて行ってしまいます。
 昨年は辰(=龍)年ということで、龍が空を翔けるような飛躍の年を願いました。 今年は巳(=ヘビ)年でございます。
 ヘビが地を這って歩くように、しっかりと目標を定め、地道に努力できるような有意義な1年となりますようにご祈念申し上げまして、ごあいさつに代えさせていただきます。
 今年1年が皆様にとりまして、良き1年となりますよう、ご本尊さまと共に重ねてお祈り申し上げます。

合掌

(2013.元旦)
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